オーレ・ハレスビー

オーレ・クリスティアン・ハレスビー(Ole Kristian Hallesby, 1879年8月5日 - 1961年11月22日)は、ノルウェー福音主義ルター派の教会指導者であり神学校教授である。オー・ハレスビー、ハッレスビとも表記される。

生涯

1879年にオスロの東南アレマルクで生まれた。両親は農家でありハウゲ運動に属するクリスチャンであった[1]。1920年に悔い改めと回心を体験する。1903年にオスロ大学神学部を卒業して兵役に就くが、肺結核を発病して除隊。その後、ドイツのエアランゲン大学留学して博士号を取得した。

ノルウェー国教会自由主義神学に傾倒してきた時代に、1909年よりオスロ大学神学部から独立したオスロ独立神学校の組織神学の教授になった。オスロ独立神学校では世界的に著名な福音主義の神学者カール・ヴィスロフらを育てた。

第二次世界大戦中ナチス・ドイツに抵抗して1943年から終戦まで投獄された。戦後母校のオスロ独立神学校に復帰して、組織神学を教えるとともに、すぐれた説教者として、国内伝道・信徒運動で活躍し、ノルウェーのリバイバルを導いた。また、多くの著作を著し、福音主義陣営の旗頭としてスカンディナヴィア諸国のみならずアメリカにも影響を与えた。

脚注

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  1. ^ ハレスビー『祈りの世界』p.211

著作

参考文献

  • 片岡伸光「ハッレスビ,オーレ・クリスティアン」(『新キリスト教辞典』)いのちのことば社、1991年
日本のキリスト教史
主義
ディスペンセーション主義
根本主義
カルヴァン主義
新福音主義
指導者
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団体
ルーツ
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