コンラート2世

コンラート2世(Konrad II)は、ドイツ語圏の君主の名前。

  • コンラート2世 (神聖ローマ皇帝) - 神聖ローマ帝国ザーリアー朝の初代君主(990年? - 1039年)。
  • コンラート2世 (ケルンテン公) - ザーリアー朝のケルンテン公(1003年頃 - 1039年)。
  • コンラート2世 (ローマ王) - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の次男[1](1074年 - 1101年)。イタリア王、下ロートリンゲン公。→コンラート (イタリア王)
  • コンラート2世 (バイエルン公) - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世の次男(1052年 - 1055年)。バイエルン公。
  • コンラート2世 (エルサレム王) - ホーエンシュタウフェン朝のエルサレム王、ローマ王、シチリア王(1228年 - 1254年)。→コンラート4世 (神聖ローマ皇帝)
  • コンラート2世 (エールス公) - オレシニツァ(エールス)公、コジュレ(コーゼル)公、ビトム(ボイテン)公(1340年 - 1403年)。→コンラト2世シヴィ
  • コンラート2世 (ヒルデスハイム司教)
  • コンラート2世 (メラーン公)
  • コンラート2世 (シュヴァーベン大公)
  • コンラート2世 (ルクセンブルク伯)
  1. ^ 長兄のハインリヒが1071年に生まれるも間もなく夭折し、実質上の長男となった。
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