ジョン・シングルトン・コプリー

ジョン・シングルトン・コプリー
John Singleton Copley
自画像
誕生日 1738年7月3日
出生地 アメリカ合衆国,ボストン
死没年 1815年9月9日
死没地 グレートブリテン王国, ロンドン
テンプレートを表示

ジョン・シングルトン・コプリー(John Singleton Copley、1738年7月3日 - 1815年9月9日)はボストン生まれの画家である。独立前のアメリカ出身の画家として、初めて国際的な評価を受けた画家の一人である。

略歴

ボストンに生まれた。1750年頃、母親が、版画家と再婚し、義理の父親から絵を学んだ。ゴドフリー・ネラージョシュア・レノルズらの画集を模写して、技術を磨いた。1766年に、ロンドンの展覧会に『少年とリス』("Boy with Squirrell" )を出品して、ジョシュア・レノルズらから賞賛された。

1774年にアメリカ独立戦争が近づいて、混乱が始まる中、イギリスに渡り、しばらく後に家族も呼んでロンドンに住んだ。ロンドンでは、アメリカ出身で、すでに画家としての地位を築いていた、ベンジャミン・ウエストと親しくなった。ウエストの影響で肖像画から、歴史画に分類されるような自然と戦う人間を題材にした、『ワトソンと鮫』("Watson and the Shark"-ハバナの海でのサメの攻撃からの少年ワトソンの救助を題材にしている:1778)なども描くようになった[1]

1799年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの会員となり、晩年は健康が衰えたが、画作を続け、ロンドンで没した。

コプリーの作品

  • 『ワトソンと鮫』
    『ワトソンと鮫』
  • 『ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月』
    『ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月』
  • 『ピアソン少佐の戦死』(ジャージーの戦い)
    『ピアソン少佐の戦死』(ジャージーの戦い

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 中野京子『中野京子と読み解く 名画の謎 対決篇』文藝春秋、2016年、176頁。ISBN 978-4-16-390308-8。 

参考文献

  • "John Copley". Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press.
  • “John Singleton Copley”. Dictionary of American Biography. American Council of Learned Societies, 1928–1936 
  • Lette and Papers of John Singleton Copley and Henry Pelham, 1739–1776. The Massachusetts Historical Society. (1914). https://archive.org/stream/lettersandpaper00pelhgoog 
  • Flexner, James Thomas (1948). John Singleton Copley. Boston: Houghton Mifflin 
  • Prown, Jules David (1966). John Singleton Copley in America, 1738–1774. Cambridge, Massachusetts 
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
    • 2
国立図書館
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • イスラエル
  • ベルギー
  • アメリカ
  • スウェーデン
  • チェコ
  • オーストラリア
  • ギリシャ
  • クロアチア
  • オランダ
  • ポーランド
    • 2
  • ポルトガル
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
芸術家
  • オランダ美術史研究所データベース
  • ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレ
  • ULAN
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
  • Trove(オーストラリア)
    • 1
その他
  • SNAC
  • IdRef