ダルバク・ハーン
ダルバク・ハーン Дэлбэг хаан ᠳᠡᠯᠪᠡ ᠬᠠᠭᠠᠨ | |
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モンゴル帝国第24代皇帝(ハーン) | |
在位 | 1412年 - 1415年 |
戴冠式 | 1412年 |
全名 | ダルバク・ハーン |
出生 | 1395年 |
死去 | 1415年 |
家名 | ボルジギン氏 |
父親 | オルジェイ・テムル・ハーン |
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ダルバク・ハーン(モンゴル語: Дэлбэг хаан、ᠳᠡᠯᠪᠡ
ᠬᠠᠭᠠᠨ 英語:Delbeg Khan、1395年 - 1415年)は、モンゴル帝国の第24代(北元としては第10代)皇帝(ハーン)。『明史』韃靼伝では答里巴と表記される[1]。
生涯
1395年、オルジェイ・テムル・ハーンの子として生まれる。
1410年、明の永楽帝は、自ら大軍を率いてモンゴル高原に攻め込み、オノン川のほとりでオルジェイ・テムル・ハーンのモンゴル軍を粉砕した。行き所を失ったオルジェイ・テムル・ハーンはオイラトに逃げ込んだ。
1412年、オイラトのマフムードはオルジェイ・テムル・ハーンを殺し、ダルバクを17歳でハーン位につけた。
1414年、明の永楽帝は再び自ら大軍を率いてモンゴル高原に攻め込み、ケンテイ山中のウラーン・ホシューン(「赤い山鼻」の意)の地で、ダルバク・ハーンとマフムードのオイラト軍を粉砕した。
1415年、ダルバク・ハーンは21歳で崩御し、オゲチ・ハシハの子のオイラダイ・ハーンが後を継いで即位した[2]。
出自について
他にエルベク・ニグレスクチ・ハーンの子とする説、アリクブケの子孫とする説もある。
脚注
参考文献
モンゴル帝国・元朝皇帝(1412年-1415年) | |
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元朝以前 | |
元朝 | クビライ(世祖)1271-1294 / テムル(成宗)1294-1307 / カイシャン(武宗)1307-1311 / アユルバルワダ(仁宗)1311-1320 / シデバラ(英宗)1320-1323 / イェスン・テムル(泰定帝)1323-1328 / アリギバ(天順帝)1328 / トク・テムル(文宗)1328-1329 / コシラ(明宗)1329 / トク・テムル(文宗)1329-1332 / イリンジバル(寧宗)1332 / トゴン・テムル(恵宗)1333-1368 |
北元 | トゴン・テムル(恵宗)1368-1370 / アユルシリダラ(昭宗)1370-1378 / トグス・テムル(末主)1378-1388 / イェスデル1388-1391 / エンケ1391-1394 / エルベク1394-1399 / クン・テムル1399-1402 / オルク・テムル1402-1408 / オルジェイ・テムル1408-1412 / ダルバク1412-1415 / オイラダイ1415-1425 / アダイ1425-1438 / トクトア・ブハ1438-1452 / アクバルジ1452-1453 / エセン1453-1454 / マルコルギス1455-1465 / モーラン1465-1466 / マンドゥールン1475-1479 / ボルフ・ジノン1480-1487 / ダヤン・ハーン1487-1524 / バルス・ボラト1524 / ボディ・アラク1524-1547 / ダライスン・ゴデン1548-1557 / トゥメン1558-1592 / ブヤン1593-1603 / リンダン1603-1634 / エジェイ1634-1635 |