ディック・アドフォカート

ディック・アドフォカート
2021年のアドフォカート
名前
本名 ディルク・ニコラース・アドフォカート
Dirk Nicolaas Advocaat
愛称 リトル・ジェネラル (小将軍)
ラテン文字 Dick Advocaat
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1947-09-27) 1947年9月27日(76歳)
出身地 ハーグ
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1966-1973 オランダの旗 デン・ハーグ 147 (7)
1967 アメリカ合衆国の旗 サンフランシスコ・ゲイルズ (loan) 7 (1)
1973-1977 オランダの旗 ローダ 113 (2)
1977-1979 オランダの旗 VVV 74 (6)
1979 アメリカ合衆国の旗 シカゴ・スティング 32 (3)
1979-1980 オランダの旗 デン・ハーグ 11 (1)
1980 アメリカ合衆国の旗 シカゴ・スティング 31 (1)
1980-1982 オランダの旗 スパルタ 61 (6)
1982-1983 ベルギーの旗 Kベルヘム・スポルト 10 (0)
1983-1984 オランダの旗 ユトレヒト 39 (8)
通算 543 (27)
監督歴
1980-1984 オランダの旗 DSVP
1984-1987 オランダの旗 オランダ (アシスタントコーチ)
1987-1989 オランダの旗 HFCハールレム
1989-1991 オランダの旗 SVV
1990-1992 オランダの旗 オランダ (アシスタントコーチ)
1991-1992 オランダの旗 ドルトレヒト
1992-1994 オランダの旗 オランダ
1994-1998 オランダの旗 PSV
1998-2002 スコットランドの旗 レンジャーズ
2002-2004 オランダの旗 オランダ
2004-2005 ドイツの旗 ボルシアMG
2005 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦
2005-2006 大韓民国の旗 韓国
2006-2009 ロシアの旗 ゼニト・サンクトペテルブルク
2009-2010 ベルギーの旗 ベルギー
2009-2010 オランダの旗 AZ
2010-2012 ロシアの旗 ロシア
2012-2013 オランダの旗 PSV
2013-2014 オランダの旗 AZ
2014 セルビアの旗 セルビア
2015 イングランドの旗 サンダーランド
2016-2017 トルコの旗 フェネルバフチェSK
2017 オランダの旗 オランダ
2017-2018 オランダの旗 スパルタ・ロッテルダム
2018-2019 オランダの旗 ユトレヒト
2019-2021 オランダの旗 フェイエノールト
2021 イラクの旗 イラク
2022- オランダの旗 ADOデン・ハーグ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ディック・アドフォカート(本名:ディルク・ニコラース・アドフォカート、Dirk Nicolaas "Dick" Advocaat, 1947年9月27日 - )は、オランダ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。愛称はリトル・ジェネラル(小さな将軍)[1]

経歴

選手時代

選手時代はオランダのクラブチームを転々とし、キャリアの終盤はアメリカでプレー。

指導者時代

1979年に引退して以降は指導者としての道を歩み、ハーレムやSVVを経て、1992年にリヌス・ミケルス率いるオランダ代表のアシスタントコーチに就任。1993年のワールドカップ予選からは監督としてチームを率い、1994年ワールドカップ・アメリカ大会では怪我でマルコ・ファンバステンを欠き、ルート・フリットが戦術に対する考えの違いから代表入りを拒否[2]、それでも準々決勝進出し、優勝したブラジルに2-3と善戦したが、準決勝には進めなかった。

その後、PSVアイントホーフェンレンジャーズを指揮。2002年1月からルイス・ファン・ハールの後を受けて、オランダ代表監督に再就任。EURO2004では準決勝進出を果たしたが、2004年7月に辞任した。ボルシアMGアラブ首長国連邦(UAE)代表監督を経て、2005年9月からドイツW杯まで韓国代表を率いていた。

EURO2004グループリーグの大一番チェコ戦では、大活躍したアリエン・ロッベンをベンチに下げて逃げ切りを図ったが、守勢に回り逆転負けを喫した[1]。地元メディアから皮肉を込めて「防衛大臣」のあだ名を贈られ、国民の批判で大会後の監督辞任に至ることになった(事実上の解任)。

韓国代表監督を経て、2006-07シーズンからはロシア・プレミアリーグFCゼニト・サンクトペテルブルクの監督に就任。その時に、ドイツW杯で指導した韓国代表選手3名をゼニトへ加入させている。

2007-08シーズンのUEFAカップではオリンピック・マルセイユバイエル・レバークーゼンバイエルン・ミュンヘンといった強豪を破り、弱小とみられていたゼニトを優勝に導いた。

2009年7月、2010年1月にベルギー代表監督に就任することが発表されたが、ゼニト監督を解任されたため、2009年10月に就任した。同年12月にはAZアルクマールの監督に就任し、二足の草鞋を履いた。

2010年4月、ベルギー代表監督を退いた。同年6月末にロシア代表監督を退任するフース・ヒディンク監督の後任として、ロシアサッカー連合(RFU)と4年契約を結んだ。

2015年3月17日、イングランド・プレミアリーグサンダーランドとシーズン終了までの契約で監督に就任した[3]。5月20日、アーセナルとアウェーで0-0で引き分け、1試合を残してプレミアリーグ残留を決めた[4]。1週間後に辞任と監督業からの引退を発表した[5]。しかし6月4日、引退を撤回し、1年契約を結んだ[6]

2016年8月17日、トルコ・スュペル・リグフェネルバフチェと1年契約を結び監督に就任した[7]

2017年5月9日、成績不振を理由にオランダ代表監督を解任されたダニー・ブリントの後継に就任。2018 FIFAワールドカップロシア大会予選途中から指揮をとることとなったが、10月10日にプレーオフ圏内となる2位のスウェーデン代表の勝ち点を上回れないことが確定し、オランダ代表は出場を逃した[8]

2017年12月25日、スパルタ・ロッテルダムと2017-18シーズン終了までの契約で監督に就任した[9]。2018年5月20日、昇格/降格プレーオフ決勝でFCエメンに1-3で敗北し、エールステ・ディヴィジ降格となった[10]

2018年9月12日、FCユトレヒトと2018-19シーズン終了までの契約で監督に就任した[11]

2019年10月30日、フェイエノールトと2019-20シーズン終了までの契約で監督に就任した[12]。2019年11月3日、就任最初の試合はアウェーでVVVフェンローに3-0で勝利した[13]

2021年7月31日、スレチコ・カタネッツの後任としてイラク代表監督に就任[14]

2022年11月28日、ADOデン・ハーグの監督に就任した。

タイトル

指導者時代

SVVスキーダム
PSVアイントホーフェン
レンジャーズFC
FCゼニト・サンクトペテルブルク

脚注

  1. ^ a b 中田 徹 (2019年5月30日). “オランダで困った時のディック。アドフォカートが愛される理由”. footballista. 2023年6月7日閲覧。
  2. ^ “Gullit walks out on the Dutch squad” (English). www.heraldscotland.com. https://www.heraldscotland.com/news/12694668.gullit-walks-out-on-the-dutch-squad/ 2020年9月1日閲覧。 
  3. ^ “Sunderland: Dick Advocaat appointed Black Cats boss”. BBC Sport. (2015年3月17日). https://www.bbc.com/sport/0/football/31919801 2015年3月17日閲覧。 
  4. ^ “Arsenal 0–0 Sunderland”. BBC Sport. (2015年5月20日). https://www.bbc.co.uk/sport/0/football/32716700 2015年5月21日閲覧。 
  5. ^ “Dick Advocaat: Sunderland boss leaves after leading side to safety”. BBC Sport. (2015年5月27日). https://www.bbc.com/sport/0/football/32909542 2015年5月27日閲覧。 
  6. ^ “Dick Advocaat set to become Sunderland manager”. BBC Sport. (2015年6月4日). https://www.bbc.com/sport/0/football/33008285 2015年6月4日閲覧。 
  7. ^ “Hollandalı Teknik Adam Dirk Advocaat İmzaladı” (Turkish). (2016年8月17日). http://www.fenerbahce.org/detay.asp?ContentID=51695 2016年9月19日閲覧。 
  8. ^ “オランダ、“アムステルダムの奇跡”起こらず…最終戦勝利も7点は遠くロシア行き逃す”. Goal.com. (2017年10月11日). https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%82%89%E3%81%9A%E6%9C%80%E7%B5%82%E6%88%A6%E5%8B%9D%E5%88%A9%E3%82%827%E7%82%B9%E3%81%AF%E9%81%A0%E3%81%8F%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%A1%8C%E3%81%8D%E9%80%83%E3%81%99/1dwcdt3fnox5y1mjzdie0m6qaf 2017年10月11日閲覧。 
  9. ^ “Dick Advocaat tot eind van seizoen coach van Sparta Rotterdam” (Dutch). https://www.nu.nl/voetbal/5063813/dick-advocaat-eind-van-seizoen-coach-van-sparta-rotterdam.html 2018年5月21日閲覧。 
  10. ^ “Sparta verliest en degradeert” (Dutch). https://www.sparta-rotterdam.nl/sparta-verliest-en-degradeert/ 2018年5月21日閲覧。 
  11. ^ “FC Utrecht bereikt Mondeling Akkord met Dick Advocaat” (Dutch). https://www.fcutrecht.nl/fc-utrecht-bereikt-mondeling-akkoord-met-dick-advocaat/4 2018年9月12日閲覧。 
  12. ^ “Dick Advocaat neemt John de Wolf mee naar Feyenoord” (Dutch). Algemeen Dagblad (2019年10月30日). 2019年11月3日閲覧。
  13. ^ “Berghuis eist positieve hoofdrol op bij debuut Advocaat” (Dutch). Feyenoord (2019年11月3日). 2019年11月3日閲覧。
  14. ^ “Dick Advocaat appointed Iraq head coach”. アジアサッカー連盟 (2021年8月1日). 2021年8月24日閲覧。
ADOデン・ハーグ - 現所属メンバー
  • 1 ウェントヘス
  • 2 アサンテ
  • 3 グランリ
  • 4 ヴェーム
  • 5 ファン・ヒントゥム
  • 6 スルメリ
  • 7 ファン・ミーヘム
  • 8 クラス
  • 9 フェールマン
  • 10 ファン・デル・サンデ
  • 11 セルキ
  • 12 ニグロ
  • 13 クリステンセン
  • 14 クドス
  • 15 アブサレム
  • 16 グスティナ
  • 17 イデホ
  • 18 S.エサヤス
  • 19 ファン・ヴォルフガング
  • 20 コムリェノヴィッチ
  • 21 R.エサヤス
  • 22 チェ
  • 23 ニキエマ
  • 24 ハマダウィ
  • 25 アテス
  • 26 シーレフェルト
  • 27 ストライク
  • 28 コレマンス
  • 29 ファン・デ・リート
  • 33 ウェルカー
  • 監督 カレジッチ
UEFAカップ
ヨーロッパ
リーグ
UCL - UEL - UECL - UCWC
 
代表監督歴
 
オランダ代表監督
 
韓国代表監督
サッカー大韓民国代表歴代監督
韓国代表 - 2006 FIFAワールドカップ
大韓民国の旗
 
ロシア代表監督
サッカーロシア代表歴代監督

サディリン 1992-1994 | ロマンツェフ 1994-1996 | イグナチェフ 1996-1998 | ブイショヴェツ 1998 | ロマンツェフ 1998-2002 | ガザエフ 2002-2003 | ヤルツェフ 2003-2005 | ショミン 2005 | ボロデュク 2006 | ヒディンク 2006-2010 | アドフォカート 2010-2012 | カペッロ 2012-2015 | スルツキー 2015-2016 | チェルチェソフ 2016-2021 | カルピン 2021-

 
クラブ監督歴
FCゼニト・サンクトペテルブルク歴代監督
  • フィリポフ 1936-1937
  • イーヴィン 1938
  • エゴロフ 1938-1940
  • フィリポフ 1940
  • K・レメシェフ 1941-1945
  • ブツソフ 1946
  • タラノフ 1946-1948
  • K・レメシェフ 1948-1950
  • ラシン 1950-1951
  • V・レメシェフ 1952-1954
  • リュクシノフ 1954-1955
  • アロフ 1956-1957
  • ジャルコフ 1957-1960
  • ボンダレンコ 1960
  • エリセエフ 1961-1964
  • フョードロフ 1964-1966
  • アロフ 1967
  • ファリャン 1968-1970
  • ゴルヤンスキー 1970-1972
  • ゾニン 1973-1977
  • モロゾフ 1977-1982
  • サディリン 1983-1987
  • ゴルベフ 1987
  • ザヴィドノフ 1988-1989
  • ゴルベフ 1989
  • コニコフ 1990
  • ブラヴィン 1990
  • モロゾフ 1991
  • メリニコフ 1992-1994
  • サディリン 1995-1996
  • ブイショヴェツ 1997-1998
  • ダヴィドフ 1998-2000
  • モロゾフ 2000-2002
  • ビリュコフ 2002
  • ラポポルト 2002
  • ペトルジェラ 2003-2006
  • ボロヴィツカ 2006
  • アドフォカート 2006-2009
  • ダヴィドフ 2009
  • スパレッティ 2009-2014
  • ヴィラス・ボアス 2014-2016
  • ルチェスク 2016-2017
  • マンチーニ 2017-2018
  • セマク 2018-
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