バンジャマン・バイヨー

バンジャマン・バイヨー

バンジャマン・バイヨー(Édouard Benjamin Baillaud ,1848年2月14日1934年7月8日)は、フランス天文学者である。天体力学の分野で研究を行い、天体図(Carte du Ciel)国際プログラムを推進し、初代の国際天文学連合の会長を務めた。

高等師範学校とパリ大学で学び、1872年からパリ天文台で働いた。1878年から1907年の間トゥールーズ天文台の所長とトゥールーズ大学の自然科学の学部長を務めた。天体図(Carte du Ciel)国際プログラムを推進し、天体力学の分野で土星の衛星の運動を研究した。

1903年、海抜2865mのピレネー山脈の山中のピク・デュ・ミディ天文台(アマチュア天文家によって1850年代に設立されたが、気象観測所として使用されていた)に50cmの屈折望遠鏡と25cmの反射望遠鏡を設置するのを指揮した。1907年にパリ天文台の所長となり、1919年に国際天文学連合を設立し、初代の会長となった。1923年、ブルース・メダル受賞。

月のクレータ「バイヨー」および小惑星(13764) ベンバイヨー[1]に名を残す。

関連項目

脚注

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  1. ^ “(11764) Benbaillaud = 3007 T-2 = 6531 P-L = PLS6531 = T/3007 T-2”. MPC. 2021年8月15日閲覧。
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