パッターニー県

パッターニー県
จังหวัดปัตตานี
パッターニー県の位置
タイの国旗 タイ王国
県庁所在地ムアンパッターニー郡
面積1,940.356 km²
人口678,838 人 2013年
人口密度349.85 人/km²
ISO 3166-2TH-94
  • この項目は英語版を元に作成されています。

パッターニー県(パッターニーけん、タイ語: จังหวัดปัตตานีマレー語: Patani、ジャウィ文字: ڤطاني)は、タイ王国南部(深南部)の県(チャンワット)の一つである。ナラーティワート県ヤラー県ソンクラー県と接する。

地理

パッターニーはマレー半島タイランド湾側に位置する。

歴史

マレー半島北部・タイ南部には古くはヒンドゥー教を国教とするランカスカ王国(英語版)(2世紀 - 14世紀)が栄えていた。

13世紀、ランカスカ王国がシュリーヴィジャヤ王国の属国となり、スマトラ島パレンバンへ遷都した際に、パッタニーに独立王朝のパタニ王国14世紀/1516年 - 1902年)が成立した。1516年にはポルトガル人の探検家ゴディーニョ・デ・エレディア(ポルトガル語版)がパタニを訪れたことから、西洋史では1516年に発見されたことになっている。

パタニ王国は、スコータイ王朝アユタヤー王朝チャックリー王朝と朝貢関係にあったが、1770年頃、ソンクラーを拠点にシャム軍が侵略して属国とした。バンコク王朝(英語版)のチャックリー改革により半独立状態になっていたパタニ王国は廃止され、大英帝国との協定によってパッターニーはマレー人が多く住みながらも、タイの一部となった。

パタニ王国廃止直後から独立運動が盛んになり、2004年には多くの死者を出す武力衝突も起こっている[1]

民族

タイ族よりもマレー人が主に住み華人なども多い。また、パッターニーの住民の80%はムスリムである。

県章

県章にデザインされている大砲はパタニ王国の官吏・林道乾によって制作されたパヤー・ターニー(マレー語ではスリ・パタニ)である。以前パッターニーに設置されていたものであるが、1785年タイ仏暦2328年)、バンコクに移された。現在防衛省本部の庁舎前に飾ってある。(大砲の詳細はラージャ・ビルを参照のこと。

県花はハイビスカスHibiscus rosa-sinensis)、県木はタキアンHopea odorata)。

隣接する県

行政区分

パッターニー県は12の郡(アンプー)があり、その下に115の町(タンボン)と、642の村(ムーバーン)がある。

パッターニー県の郡
  1. ムアンパッターニー郡タイ語: อำเภอเมืองปัตตานีジャウィ文字: ڤتتاني
  2. コークポー郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอโคกโพธิ์
  3. ノーンチック郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอหนองจิก
  4. パナーレ郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอปะนาเระ
  5. マーヨー郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอมายอ
  6. トゥンヤーンデーン郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอทุ่งยางแดง
  7. サーイブリー郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอสายบุรีジャウィ文字: تلوبن Teluban / سليندوڠ بايو Selindung Bayu)
  8. マイケン郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอไม้แก่น
  9. ヤリン郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอยะหริ่ง Yaringジャウィ文字: جاريڠ Jaring
  10. ヤラン郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอยะรัง
  11. カポー郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอกะพ้อ
  12. メーラーン郡(タイ語版、英語版)タイ語: อำเภอแม่ลาน

出典

  1. ^ T. M. フレーザー、2012、『タイ南部のマレー人:東南アジア漁村民族誌』(岩淵聡文訳)、東京:風響社。

外部リンク

ウィキニュースに関連記事があります。
  • タイ南部で武装勢力が仏教寺院を襲撃、3人が死亡
  • จังหวัดปัตตานี (公式サイト)
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関連項目
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