ホジェンド

ホジェンド
Хуҷанд
ホジェンド広場
ホジェンド広場
ホジェンドの市旗 ホジェンドの市章
市旗 市章
位置
の位置図
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ホジェンド
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ホジェンド
ホジェンド (アジア)
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座標 : 北緯40度17分 東経69度37分 / 北緯40.283度 東経69.617度 / 40.283; 69.617
行政
タジキスタンの旗 タジキスタン
 州 ソグド州
 市 ホジェンド
地理
面積  
  市域 40 km2
標高 300 m
人口
人口 (2014年現在)
  市域 170,000人
その他
等時帯 タジキスタン時間 (UTC+5)

ホジェンド(ペルシア語: خجند Khujand/Khojand‎)は、タジキスタン共和国ソグド州の州都。中央アジアで最も古い都市の1つに数え上げられている。

首都ドゥシャンベに次いで、2番目に人口の多い都市である。集落における人口は931,900人。

タジク語では、フジャンド(Хуҷанд Khujand)。ソビエト連邦時代は、レニナバード[1](Leninabad/Ленинабад)と呼ばれた。2019年1月1日時点での人口は約18万2000人[2]

ホジェンドはイスラム神学のエリートであるホージャの領地である。その規律と互助は、ホジェンド出身者が1980年代に至るまで権力を維持することを助けた。

歴史

ソグド歴史博物館(英語版)

紀元前6世紀、古代ペルシア人の城砦が築かれ、古代ギリシア人は、これをキロポリ、又はキレスハタと呼んだ(古代ギリシア語で「果て」「最後の」の意味)。

紀元前329年アレクサンドロス3世ギリシア人の入植地を建設、これをアレクサンドリア・エスハテ(最果てのアレクサンドリア)と呼び、シルダリア川北方のスキタイへの砦とした。

その後はペルシアの版図に組み込まれる時代が続き、8世紀アラブの領地となる。ホジェンドと呼ばれるようになるのはこの頃からである。10世紀には中央アジアでも有数の都市となった。13世紀にはホラズム・シャー朝の将軍ティムール・メリクがホジェンドでモンゴル帝国を迎え撃った。14世紀ティムール朝の支配を受ける。

その後、ブハラ・ハン国の時代を経て、1866年ロシアに領有される。1936年、レニナバードに改称され[1]1991年、ホジェンドの名に戻った。

1997年に受刑者による抗議事件(英語版)が発生している。

地理

ホジェンドはドゥシャンベから北東200kmの距離で、トルキスタン山脈(ロシア語版)モゴルタウ山脈(ロシア語版)の間のフェルガナ峡谷への入り口に位置しており、カイラックム貯水池(ロシア語版)に接している。畔にはシルダリヤ川が流れる。

市民

ソグド(ロシア語版)(シュグド)
同都市に存在する最大規模の自由経済区である。

2010年に実施された国勢調査によれば、タジク人84%、ウズベク人14%、ロシア人0.4%、その他1.6% となっている。

信徒はイスラム教徒(スンニ派)で占められている。市の人口は181,600人 (統計庁 2019 年報告)[3]

ホジェンド都市圏の人口は2019年時点で931,900人。

交通

ホジェンド空港

ホジェンド空港が在ることでも知られている。ホジェンド-サマルカンド間を繋ぐ鉄道が存在しており、道路においてはアンゾブトンネル(英語版)を介してドゥシャンベや、ゼラフシャン川渓谷の先に在るパンジケントと結ばれている。

姉妹都市

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 『レニナバード』 - コトバンク
  2. ^ “Численность населения Республики Таджикистан на 1 января 2018 года. Агентство по статистике при Президенте Республики Таджикистан, 2018”. stat.ww.tj. 2022年11月4日閲覧。
  3. ^ About Khujand, http://fezsughd.tj/en/about_khujand/ Archived 2014-12-24 at the Wayback Machine.

関連項目

外部リンク

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