ホセ・サンタマリア

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はサンタマリア第二姓(母方の姓)はイグレシアスです。
ホセ・サンタマリア
1976年のサンタマリア
名前
本名 ホセ・エミリオ・サンタマリア・イグレシアス
José Emilio Santamaría Iglesias
ラテン文字 José Santamaría
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1929-07-31) 1929年7月31日(94歳)
出身地 モンテビデオ
身長 183cm
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1948-1957 ウルグアイの旗 ナシオナル
1957-1966 スペインの旗 レアル・マドリード 227 (2)
代表歴
1952-1957 ウルグアイの旗 ウルグアイ 20 (0)
1958-1962 スペインの旗 スペイン 16 (0)
監督歴
1968-1971 スペインの旗 スペイン代表ユース
1971-1977 スペインの旗 エスパニョール
1978-1980 スペインの旗 スペイン代表 U-21
1980-1982 スペインの旗 スペイン代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ホセ・エミリオ・サンタマリア・イグレシアス (José Emilio Santamaría Iglesias, 1929年7月31日 - ) はウルグアイモンテビデオ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。主にセンターバックで起用されたが、右サイドのストッパーも務めた[1]

1948年にナシオナルにてデビュー。その後に移籍したレアル・マドリードにおいて、1950年代後半から1960年代前半にかけての黄金期に守備陣のリーダーとして活躍した[2]。代表チームにおいても、ウルグアイ代表スペイン代表でプレー。2つの異なるナショナルチームでFIFAワールドカップに出場した経験を持つ。

長身でたくましい身体を持ち、広い活動範囲と屈強なマークで相手アタッカーを封じた[3]。また高い技術を持ち、ボールを上手く使って攻撃の起点にもなった[4]

経歴

18歳の頃に地元にあるサッカークラブナシオナル・モンテビデオでキャリアをスタートさせ、そこでチームを5度のリーグ優勝に導いた。また、ウルグアイ代表として1950 FIFAワールドカップに招集されるが、チームとのポジションの食い違いから大会に出ることはなかった。4年後の1954 FIFAワールドカップに参加し、ハンガリー代表に延長戦の末敗れた。3位決定戦でもオーストリア代表に敗退したが、屈強なディフェンスでサンタマリア自身は評価を高め、大会ベストイレブンにもウルグアイから唯一選ばれた[5]1956年南米選手権ではウルグアイは優勝したがサンタマリアは出場しなかった[6]。翌1957年に開催された同大会では全6試合に出場した。

1962年のサンタマリア

1957年にレアル・マドリードへ移籍し、アルフレッド・ディ・ステファノフランシスコ・ヘントフェレンツ・プスカシュら豪華な攻撃陣を支えるセンターバックのレギュラーとして337試合の公式戦に出場。6度のリーグ優勝UEFAチャンピオンズカップ3連覇を含む4度の優勝、インターコンチネンタルカップなど12のメジャータイトルを手にした。ディ・ステファノらが活躍した1950年代後半からイエイエ・マドリードと呼ばれた1960年代のチームの間で橋渡し役を務め[2]、レアル・マドリードにとって6度目、サンタマリアにとって4度目のチャンピオンズカップを制した1966年に現役を引退した。

ウルグアイ人として初めてUEFAチャンピオンズカップを制覇した選手であり[7]、キャリアの中で50試合に出場した。かつてのチャンピオンズカップは現在のチャンピオンズリーグよりも試合数が少なかったが、パオロ・モンテーロが更新するまでおよそ半世紀の間ウルグアイ人最多出場選手であった。

また、レアル・マドリード入団翌年にスペイン国籍を取得し、スペイン代表としても1962 FIFAワールドカップに参加した。グループリーグ3試合中2試合に出場したが、スペイン代表はグループ最下位となり敗退することとなった。

引退後はスペイン代表のユースチームで監督を務め、1971年7月からはエスパニョールの監督に就任。1972-73シーズンは、優勝したアトレティコ・マドリードと勝ち点差3での3位にクラブを導いた。その後スペイン代表U-21を挟んでフル代表の監督を務め、自国開催の1982 FIFAワールドカップに臨んだ。

獲得タイトル

チームタイトル

ナシオナル・モンテビデオ

  • ウルグアイ・リーグ : 1950, 1952, 1955, 1956, 1957

レアル・マドリード

個人タイトル

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ 『GREATEST TEAM』、ワールドサッカーマガジンベースボール・マガジン社、Vol.148 2007年1月18日号
  2. ^ a b “サンタマリア ホセ・エミリオ サンタマリア 1957 - 1966”. RealMadrid.com. 2016年2月7日閲覧。
  3. ^ 『クラブ スター列伝』、ワールドサッカーマガジンベースボール・マガジン社、Vol.153 2007年4月5日号
  4. ^ クリストファー・ヒルトン『欧州サッカーのすべて』野間けい子、大栄出版、1995年。ISBN 4886825850。 
  5. ^ “FIFA World Cup Awards All-Star Team”. sporting99.com. 2012年11月4日閲覧。
  6. ^ “Southamerican Championship 1956”. rsssf.com. 2019年1月31日閲覧。
  7. ^ “欧州の舞台で輝くウルグアイ人選手たち”. uefa.com (2015年4月20日). 2017年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月11日閲覧。
  8. ^ “Eric Batty’s World XI – The Sixties”. Beyond the Last Man (2013年4月29日). 2016年6月13日閲覧。

外部リンク

  • BDFutbol player profile
  • BDFutbol coach profile
  • José Emilio Santamaría
  • ホセ・サンタマリア – FIFA主催大会成績
 
ウルグアイ代表 - 出場大会
ウルグアイ代表 - 1954 FIFAワールドカップ 第4位
  • 1 マスポリ
  • 2 サンタマリア
  • 3 マルティネス
  • 4 ロドリゲス・アンドラーデ
  • 5 バレラ キャプテン
  • 6 レオパルディ
  • 7 アバディエ
  • 8 ホーベルク
  • 9 ミゲス
  • 10 スキアフィーノ
  • 11 ボルゲス
  • 12 マセイラス
  • 13 ダヴォイン
  • 14 テヘラ
  • 15 リヴェラ
  • 16 カルバーリョ
  • 17 クルス
  • 18 ソウト
  • 19 アンブロイス
  • 20 メンデス
  • 21 ペレス
  • 22 カストロ
  • 監督 ロペス
ウルグアイの旗
 
スペイン代表 - 出場大会
 
代表監督歴
スペイン代表 - 1968 メキシコ五輪 サッカー競技
  • 1 メンディエタ
  • 2 モラ
  • 3 ベニト
  • 4 エスピルドラ
  • 5 チュフィ
  • 6 オチョア
  • 7 サラ
  • 8 アセンシ
  • 9 シアウリス
  • 10 イハルトゥア
  • 11 ハエン
  • 12 アルフォンセダ
  • 13 クリスピ
  • 14 バリオス
  • 15 フェルナンデス
  • 16 ガルソン
  • 17 グランデ
  • 18 オルテガ
  • 19 オルトゥーニョ
  • 監督 サンタマリア
スペインの旗
スペイン代表 - 1980 モスクワ五輪 サッカー競技
スペインの旗
 
クラブ監督歴
RCDエスパニョール歴代監督
サッカースペイン代表歴代監督
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全般
  • VIAF
国立図書館
  • スペイン
  • ドイツ

[[Category::RCDエスパニョールの監督]]