ラ・アルブエラ

La Albuera

 エストレマドゥーラ州
 バダホス県
コマルカ ティエラ・デ・バダホス
面積 26.4 km² [1]
標高 253[1]m
人口 2,031 人 (2016年)
人口密度 76.93 人/km²
住民呼称 Albuereños
La Albueraの位置(スペイン内)
La Albuera
La Albuera
スペイン内の位置
La Albueraの位置(バダホス県内)
La Albuera
La Albuera
バダホス県内の位置

北緯38度42分58秒 西経06度49分26秒 / 北緯38.71611度 西経6.82389度 / 38.71611; -6.82389座標: 北緯38度42分58秒 西経06度49分26秒 / 北緯38.71611度 西経6.82389度 / 38.71611; -6.82389

ラ・アルブエラ(スペイン語: La Albuera)は、スペインエストレマドゥーラ州バダホス県ムニシピオ(基礎自治体)。2016年の人口は2,031人。

歴史

半島戦争中のアルブエラの戦い

ラ・アルブエラ出身のコンキスタドールに、16世紀に生まれたフアン・アロンソ・デ・ラ・トーレ(スペイン語版)がいる。アロンソは今日のコロンビアベネズエラの領域を侵略し、ベレス(英語版)(現・コロンビア)やメリダ(現・ベネズエラ)の町を建設した。

1594年にはカスティーリャ王国の中でトルヒーリョ県(スペイン語版)に組み込まれた。当時のトルヒーリョ県は今日のエストレマドゥーラ州の大半の領域を範囲としており、1822年に地方行政区分の再編が行われるまで存続した。トルヒーリョ県の県都はトルヒーリョだった。

半島戦争中の1811年5月16日には、ウィリアム・ベレスフォード(英語版)率いるイギリス軍ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト率いるフランス軍の間でアルブエラの戦いが行われた。

地理

ラ・アルブエーラ(白)の試合

エストレマドゥーラ州バダホス県の県都バダホスの南東約24km[1]にあり、バダホスとはN-432号線(コルドバ自動車道)で結ばれている。コマルカ(郡)としてはティエラ・デ・バダホス(スペイン語版)に属する。バダホスのさらに西側はスペイン=ポルトガル国境(英語版)である。

バダホスの面積は1,473.20km2であり、スペインに約8,000あるムニシピオ(基礎自治体)の中で3番目に大きな自治体である。一方のラ・アルブエラの面積は26.4km2であり、ラ・アルブエラとグアディアーナ・デル・カウディーリョ(英語版)は完全にバダホスの自治体域に囲まれている。

郊外のステップとオークデエサにある10余か所のノガン科サケイ科の鳥類の生息地として、2002年にラムサール条約登録地となった[2]

サッカークラブとしてCDラ・アルブエラがある。

脚注

  1. ^ a b c Localizacion ラ・アルブエラ公式サイト
  2. ^ “Complejo lagunar de La Albuera | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2002年12月20日). 2023年4月8日閲覧。

外部リンク

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