ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウ

曖昧さ回避 オランダ王ウィレム1世の同名の姉(本記事人物の大伯母)については「ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウ (1770-1819)」をご覧ください。
ロヴィーサ・アヴ・ネーデレンデナ
Lovisa av Nederländerna
スウェーデン=ノルウェー王妃
在位 1859年7月8日 - 1871年3月30日

全名 Wilhelmina Frederika Alexandrine Anna Louise
ヴィルヘルミナ・フレデリカ・アレクサンドリーネ・アンナ・ルイーゼ
Vilhelmina Fredrika Alexandra Anna Lovisa
ヴィルヘルミナ・フレドリーカ・アレクサンドラ・アンナ・ロヴィーサ
出生 1828年8月5日
ネーデルラント連合王国ハーグ
死去 (1871-03-30) 1871年3月30日(42歳没)
スウェーデンの旗 スウェーデンストックホルム
埋葬 スウェーデンの旗 スウェーデンストックホルム、リッダルホルム教会
結婚 1850年6月19日
配偶者 カール15世
子女 ロヴィーサ
カール・オスカル
家名 オラニエ=ナッサウ家
父親 フレデリック・ファン・オラニエ=ナッサウ
母親 ルイーゼ・フォン・プロイセン
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ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウオランダ語: Louise van Oranje-Nassau, 1828年8月5日 - 1871年3月30日)は、オランダの王族。オランダ王子フレデリックの長女で、スウェーデン王カール15世(ノルウェー王カール4世)の王妃となった。全名はオランダ語ヴィルヘルミナ・フレデリカ・アレクサンドリーネ・アンナ・ルイーゼWilhelmina Frederika Alexandrine Anna Louise)。スウェーデン語名はロヴィーサ・アヴ・ネーデレンデナLovisa av Nederländerna, 全名: Vilhelmina Fredrika Alexandra Anna Lovisa)。

生涯

ルイーゼは1828年8月5日、フレデリックとその妃であったプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の王女ルイーゼの間に第1子としてハーグで生まれた。

1850年6月19日にルイーゼはスウェーデン=ノルウェー王太子カールとストックホルムで結婚し、1859年に夫が即位すると王妃となった。しかし、カールは女性好きであったため、夫婦仲はよくなかったようである。

ルイーゼは母の葬儀のためオランダへ行った帰りに肺炎に罹り、帰国後の1871年3月30日にストックホルムで死去した。墓所はストックホルムにある。

子女

夫であるカール15世との間には以下の1男1女をもうけた。唯一の男子であったセーデルマンランド公爵カールが早世したため、1872年にカール15世が没するとその弟であるオスカル2世が王位を嗣いだ。

  • ロヴィーサ(1851年 - 1926年) - デンマーク王フレゼリク8世妃
  • カール・オスカル(1852年 - 1854年) - セーデルマンランド公爵

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウに関連するカテゴリがあります。
  • Lovisa - Svenskt biografiskt handlexikon II:95
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