ロリータ・ハラウェイ

ロリータ・ハラウェイ
生誕 (1946-11-05) 1946年11月5日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州シカゴ
死没 2011年3月21日(2011-03-21)(64歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州シカゴ
ジャンル
職業 シンガーソングライター
活動期間 1967年 – 2011年
レーベル
  • Aware
  • Gold Mind
  • Salsoul Records
  • DJ International Records
  • The Right Stuff Records
共同作業者
  • アルバーティナ・ウォーカー
  • ダン・ハートマン
  • ザ・キャラヴァンズ
  • インナー・ライフ(英語版)
  • サルソウル・オーケストラ(英語版)
  • ジョー・バターン(英語版)
  • ブラック・ボッスク(英語版)
  • ドロシー・ノーウッド(英語版)
  • マーキー・マーク&ザ・ファンキー・バンチ
  • 公式サイト Official MySpace page

    ロリータ・ハラウェイ(Loleatta Holloway、[lɒlˈtə]1946年11月5日2011年3月21日)は、アメリカ合衆国歌手で、おもにディスコ の楽曲で、よくサンプリングに用いられた「Hit and Run」や「Love Sensation」のヒットで知られた。2016年12月に『ビルボード』誌が発表した史上最も成功したダンス・アーティストのランキングでは、95位に入った[1]

    日本語ではロレッタ・ハロウェイなどと表記されることもある[2]

    経歴

    ハラウェイは、シカゴに生まれた[3]。幼い頃から、母親が指導していたゴスペル合唱団に加わり、5歳で独唱者に抜擢されたが、後には当時を振り返って、子どもらしくない大人のような自分の声が嫌いだったと述懐していた[4]1966年に母親が死去した後、ハラウェイは、アルバーティナ・ウォーカー(英語版)の誘いを受け、彼女のゴスペル・グループであるザ・キャラヴァンズ(英語版)に参加することになった[4]

    1972年にザ・キャラヴァンズは解散するが、ハラウェイはその少し前から、後に夫となったフロイド・スミス(英語版)の指導の下でポピュラー楽曲を歌うようになった[2][4]。スミスは1971年に、シングル「Rainbow '71」でハラウェイをレコード・デビューさせた[2]。次いでアトランタのレーベル「Aware」から、ハラウェイをアルバム・デビューさせ、アルバム『Loleatta』(1973年)と『Cry to Me』(1975年)がこのレーベルから出た[4]。その後、ハラウェイは、フィラデルフィアノーマン・ハリス(英語版)が主宰するレーベル「Gold Mind」から4枚のアルバムを出し[5]、そこから「Run Away」、「Hit and Run」(1977年)、「Love Sensation」(1980年)、「Seconds」(1982年)などがディスコ・ヒットとなった[4]1978年には、バニー・シグラー(英語版)とのデュエット「Only You」がR&Bチャートのトップ20入りを果たした[4]。その後、1982年に、ハラウェイは、夫だったフロイド・スミスに先立たれた[4]

    1989年、「Love Sensation」からサンプリングされた彼女の歌声が、全英シングルチャート首位となったブラック・ボックス(英語版)のヒット曲「ライド・オン・タイム (Ride On Time)」に無断で使用された[3][4]。しかし、ハラウェイのボーカルは、クレジットされていなかった[4]。後にハラウェイはこの件を提訴し、法廷外の和解で相当額の和解金を勝ち取った[3][4]

    ハラウェイの運が劇的に上向いたのは、マーキー・マーク&ザ・ファンキー・バンチが彼女のボーカルをフィーチャーしてチャートの首位に送り込んだ「グッド・バイブレーション(Good Vibrations)」(1991年)がヒットして、Billboard Hot 100 首位になってからであった。『バラエティ』誌2011年3月22日号に掲載されたアンドリュー・ベイカー (Andrew Barker) の記事によると、この曲について、ハラウェイはシングルのプロモーションのためにマーキー・マーク&ザ・ファンキー・バンチとの共演のステージに上がり、全面的なボーカルのクレジットとロイヤルティーの分配を受けたという[6]

    他にも、ハラウェイの歌声をサンプリングして使用する例は色々あり、例えば2009年には、ホイットニー・ヒューストンがシングル「Million-Dollar Bill」で、ハラウェイの「We're Getting Stronger」を使った[3][4]

    死去

    ハラウェイは、2011年3月21日に64歳で、心不全のため死去し[7][8]、後には3人の息子たちとひとりの娘、9人の孫たちが残された[4]

    ディスコグラフィ

    アルバム

    Aware
    • 1973年、Loleatta
    • 1975年、Cry to Me
    Gold Mind
    • 1977年、Loleatta
    • 1978年、Queen of the Night
    • 1979年、Loleatta Holloway
    • 1980年、Love Sensation

    脚注

    1. ^ “Greatest of All Time Top Dance Club Artists”. billboard. 2018年6月9日閲覧。
    2. ^ a b c “Loleatta Holloway インタビュー/ロレッタ・ハロウェイ、ディスコの女王”. Wax Poetics Japan (2016年3月8日). 2018年6月9日閲覧。
    3. ^ a b c d “Soul icon Loleatta Holloway dies from heart failure at age 64”. Daily Mail. (2011年3月23日). http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1368889/Loleatta-Holloway-dies-heart-failure-age-64.html 2015年11月22日閲覧。 
    4. ^ a b c d e f g h i j k l Laing, Dave (2011年3月24日). “Loleatta Holloway obituary”. The Guardian. https://www.theguardian.com/music/2011/mar/24/loleatta-holloway-obituary 2015年11月22日閲覧。 
    5. ^ ロリータ・ハラウェイ - Discogs
    6. ^ Barker, Andrew (2011年3月22日). “Loleatta Holloway, soul singer, dies”. Variety. https://variety.com/2011/music/news/loleatta-holloway-soul-singer-dies-1118034245/ 2015年11月22日閲覧。 
    7. ^ Parales, Jon (2011年3月23日). “Loleatta Holloway, Gospel and Disco Singer, Is Dead at 64”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2011/03/24/arts/music/loleatta-holloway-gospel-and-disco-singer-dies-at-64.html?_r=0 2015年11月22日閲覧。 
    8. ^ “Soul singer Loleatta Holloway dies aged 64”. New York Post. (2011年3月23日). https://nypost.com/2011/03/22/soul-singer-loleatta-holloway-dies-aged-64/ 2015年11月22日閲覧。 

    外部リンク

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