三顧の礼

三顧の礼(さんこのれい)は、故事成語のひとつ。目上の人が格下の者の許に三度も出向いてお願いをすること。中国劉備(りゅうび)が諸葛亮(しょかつりょう)を迎える際に三度訪ねたとする故事に由来する。

概要

黄巾の乱の鎮圧で関羽張飛とともに天下に名を揚げていた劉備に対して、諸葛亮は司馬徽など一部の人にのみ名前を知られた存在だった。

しかも劉備が40代に対し諸葛亮は20代であり社会通念上、明らかな上下関係があるにもかかわらず、それに捉われない応対をしたことから有名になった故事である。

この逸話は後世の日本にも影響を与えており、木下藤吉郎竹中重治を配下に加えるくだりで使われている[1]

画像

  • 明の画家戴進が描いた三顧の礼
    の画家戴進が描いた三顧の礼
  • 明の時代に描かれた三顧の礼の様子
    明の時代に描かれた三顧の礼の様子
  • 頤和園の廊下に描かれた三顧の礼の絵
    頤和園の廊下に描かれた三顧の礼の絵
  • 同じく、頤和園の廊下に描かれた三顧の礼の絵。諸葛亮と劉備が出会った場面。
    同じく、頤和園の廊下に描かれた三顧の礼の絵。諸葛亮劉備が出会った場面。

脚注

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  1. ^ 柴田錬三郎『真説・豊臣秀吉』
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三顧の礼