小峰朝常

 
凡例
小峰 朝常
時代 南北朝時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 結城朝常
氏族 小峰氏
父母 結城親朝
兄弟 結城顕朝、結城宗顕、山ノ井朝胤
小峰政常
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小峰 朝常(こみね ともつね、生没年不詳)は、南北朝時代の武将

人物

兄の顕朝が惣領を継ぎ、朝常は父の親朝が創設した小峰家を継いで小峰城主となった。興国4年/康永2年(1343年)に父の親朝が足利尊氏に帰順したとき、朝常も尊氏に降った。当時の奥州には、まだ南朝勢力が残っており、朝常はこれを拒否している。南朝勢力は、北畠顕信を大将に陸奥国霊山城と宇津峰城を拠点に、幕府軍と戦っていた。この南朝勢力に対して、奥州幕府軍を統率する奥州管領畠山家吉良家両家は、正平2年/貞和3年(1347年)、正平7年/文和元年(1352年)、正平8年/文和2年(1353年)と立て続けに宇津峰城霊山城に攻撃を仕掛けた。朝常も幕府軍としてこの合戦に従軍し、南朝軍撃退に尽力した。[1]

参考文献

  1. ^ 室町時代人物事典 水野大樹(薯)
結城巴紋小峰氏2代当主
宗家

祐広 - 宗広 - 顕朝 - 満朝 - 氏朝 - 直朝 - 政朝 - 顕頼 - 義綱 - 晴綱 - 義顕 - 義親 - 義広

分家・支流

小峰氏

親朝 - 朝常 - 政常 - 満政 - 朝親 - 直親 - 直常 - 朝脩 - 義親 - 義名 - 朝景 - 朝次 - 朝定 - 景次 - 直次 - 景秀 - 秀常

仙台白河家

義親 - 義綱 - 義実 - 宗広 - 村親 - 村広 - 村祐 - 村雄 - 宗秀 - 邦親 - 基広 -

角館白河家

朝綱 - 朝誉 - 朝盈 - 朝信 - 朝伯 - 朝陳 - 朝英 - 朝孝 - 朝邦 - 朝徳 - 朝嘉 -  - 錦一 -