少年文芸作家クラブ

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少年文芸作家クラブ(しょうねんぶんげいさっかクラブ)は、かつて存在した娯楽児童文学の作家・画家・翻訳家・演出家の親睦団体。

概要

日本SF作家クラブジュブナイル版として、1966年ごろ、福島正実北川幸比古の提唱で発足した[1]。日本SF作家クラブのメンバーの他に、亀山龍樹内田庶、中尾明、小松崎茂、中山正美、武部本一郎依光隆、金森達らが参加した[2]白木茂が顧問だった[3]。「少年文芸作家クラブ会報」が発行された[4]

1969年に福島が「覆面座談会事件」でSF作家たちと対立すると、大半のSF作家は退会し[5]、残ったのは、光瀬龍眉村卓大伴昌司南山宏だけだった[5]

1970年には雜誌「別冊少年文芸」が発行された[4]

1976年の福島の没後、内田の提案で「福島正実記念SF童話賞」が、岩崎書店との共催で1983年から開始[6]。また、受賞者は新たに会に入会を許された[7]。だが、1991年の第8回で、当時6歳の竹下龍之介が受賞したことで、受賞に反対した北川が除名、内田が退会した[8]

その後は光瀬が中心となって会は運営され、職能団体創作集団プロミネンスと改名して[9]、2015年4月現在も活動を継続している[10]

2001年からは、やはり岩崎書店と共催でジュニア冒険小説大賞を開始している[11]

少年文芸作家クラブ名義の書籍

  • あたらしいSF童話 (少年文芸作家クラブ編、岩崎書店)
    • 小さな島の大ぼうけん (星谷仁作、ますむらひろし絵、1984年)
    • ぬすまれた教室 (光瀬龍作、宇野文雄絵、1984年)
    • ぼくらのロボット物語 (眉村卓作、西川おさむ絵、1985年)
    • 自由くんの宇宙せんそう (北川幸比古作、今井弓子絵、1985年)
    • テレパシードロップをどうぞ (浜田けい子作、高橋透絵、1985年)
    • おれたち先生の同級生 (斎藤晴輝作、うちべけい絵、1985年)
    • オメガ・シティのぼうけん (豊田有恒作、米田裕絵、1985年)
    • さようならアイスマン (福島正実作、依光隆絵、1985年)
    • へんしんバットのひみつ (久米みのる作、森やすじ絵、1985年)
    • タッくんの空中トンネル (竜尾洋一作、石橋かほる絵、1987年)
    • 水たまりの宇宙戦争 (南山宏作、近藤薫美子絵、1987年)
  • 学年別こどもファンタジー (少年文芸作家クラブ編金の星社)
    • そらとぶランドセル1年生 (1986年)
    • ぼくらのおりがみメカ3年生 (1986年)
    • ミサイルみのむし4年生 (1986年)
    • さよなら!UFO2年生 (1986年)

脚注・出典

  1. ^ 『SF JAPAN』2005年春号 P.135 発足時期は明確ではなく、福島死後に福島の年譜を作成した内田庶・中尾明による推定年である。
  2. ^ 『戦後「翻訳」風雲録』P.144
  3. ^ 『戦後「翻訳」風雲録』P.144。白木については「初代会長」という情報もある。
  4. ^ a b 国会図書館図書検索
  5. ^ a b 『戦後「翻訳」風雲録』P.147
  6. ^ 『戦後「翻訳」風雲録』P.148 『SF JAPAN』2005年春号 P.138
  7. ^ 『SF JAPAN』2005年春号 P.138
  8. ^ 『戦後「翻訳」風雲録』P.148
  9. ^ 『戦後「翻訳」風雲録』P.149
  10. ^ 創作集団プロミネンスHP 後藤みわこTwitter
  11. ^ http://www.iwasakishoten.co.jp/news/n10303.html

参考文献

  • 宮田昇(内田庶)『戦後「翻訳」風雲録』本の雜誌社
  • 『SF JAPAN』2005年春号、大橋博之『少年SFの系譜』 「岩崎書店と少年文芸作家クラブ」

外部リンク

  • 創作集団プロミネンス