岡田平太郎

岡田 平太郎(おかだ へいたろう、1870年(明治3年) - 没年不詳)は、明治時代の宮内省式部官

経歴

大阪生まれ。尾去沢疑獄事件で知られる貿易商岡田平蔵の息子。陸奥宗光の夫人は平太郎の養女に当たり、伊藤博文井上馨福澤諭吉とも親交があった。1880年(明治13年)、慶應義塾幼稚舎へ入学し、慶應義塾大学部へ進む。

1906年(明治39年)春より宮内省式部官に任じ、有栖川宮の家令を兼ねる。1907年(明治40年)、英照皇太后陛下十年祭のとき京都へ出張。

参考文献

  • 三田商業研究会 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、201-202頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777715 近代デジタルライブラリー
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