広島市立段原中学校

広島市立段原中学校
地図北緯34度22分53秒 東経132度28分56秒 / 北緯34.38129度 東経132.48222度 / 34.38129; 132.48222座標: 北緯34度22分53秒 東経132度28分56秒 / 北緯34.38129度 東経132.48222度 / 34.38129; 132.48222
国公私立の別 公立学校
設置者 広島市
設立年月日 1932年4月1日
開校記念日 4月15日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード C134210000017 ウィキデータを編集
中学校コード 340018[1]
所在地 734-0037
広島県広島市南区霞一丁目3番30号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

広島市立段原中学校(ひろしましりつ だんばらちゅうがっこう)は、広島県広島市南区霞にある公立中学校

概要

1932年(昭和7年)「広島市立第一高等小学校」として創立された。当初は高等科のみを設置する旧制小学校であったが、その後国民学校に改編され、戦後の学制改革によって新制中学校となりその後現在の校名に改められた。また当初の学区は現在の段原学区のほか、二葉学区・大州学区・仁保学区を包括する広大なものであったが、後3者に中学校が新設され、新学区として分離したことにより段原中の学区は縮小することになった。

かつて校地は段原山崎町に所在していた。校舎は1945年(昭和20年)原爆投下により被爆するも倒壊を免れ、戦後も長く校舎として使用され、被爆建物の指定を受けていた。市の段原東部土地区画整理事業に伴い、2011年4月から霞の広島県警察学校広島県警察機動隊跡地へ移転した。移転に伴い旧校地は公園として整備され、被爆建物であった旧校舎は壁の一部が保存される予定となっている。

沿革

  • 1932年(昭和7年)4月1日 - 「広島市立第一高等小学校」として発足
  • 1941年(昭和16年)4月 - 「広島市立第一国民学校」に改名
  • 1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆被災
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により「広島市立第一中学校」に改名
  • 1947年(昭和22年)4月15日 - 開校
  • 1949年(昭和24年)4月30日 - 「広島市立段原中学校」に改名 
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 広島市立二葉中学校創立に伴い二葉学区分離
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 広島市立大州中学校創設に伴い大州学区分離
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 広島市立仁保中学校創設に伴い仁保学区分離
  • 1990年(平成2年)7月31日 - 原爆慰霊碑除幕式、第一回原爆死没者慰霊祭
  • 1994年(平成6年)4月6日 - 広島大学病院内病弱学級開設
  • 1998年(平成10年)4月6日 - 障害児学級開設
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 障害児学級(あやめ学級)開設
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 情緒障害児学級開設
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 校舎移転(広島県警察学校跡地)

学区

荒神町学区、段原学区、比治山学区

著名な出身者

旧校舎

旧校舎正門(2010年3月撮影)
旧校舎正門(2010年3月撮影)
かつての本校舎(2010年3月撮影)
かつての本校舎(2010年3月撮影)

段原山崎町4番42号にあった旧校舎は1932年(昭和7年)に創設。南に向かってコの字型に建てられ、それぞれ「北校舎」「東校舎」「西校舎」と呼ばれた。そのうち東校舎のみ、市立の学校では本川小に次ぐ2例目の鉄筋コンクリート構造校舎として建設された。太平洋戦争中、東校舎には工作機械が置かれ、軍需工場の下請けとなっていた。

1945年(昭和20年)8月6日被爆。爆心地から約2.64kmに位置した。北校舎は全壊、その他の校舎や講堂は爆風によりガラスや窓枠は破損したものの倒壊は免れた。その後、東校舎と講堂は臨時救護所あるいは遺体収容所となり、校庭では火葬が行われた。同年10月には救護所も解散となり、その後学校は再開された。

1956年(昭和31年)に東校舎の2階を増築、1993年(平成5年)東校舎は市の「被爆建物リスト」に登録された。2009年(平成21年)現在、1階が技術実習室、2階が更衣室として使用されている。

2011年(平成23年)から現在の校舎移転に伴い、跡地は公園になることが決定、東校舎の外壁の一部を切り取り保存し校名が記された門柱と共にその公園に設置されることとなった。公園にはそのほかに、慰霊碑、広島市が設置した原爆被災説明板、当地にあった国鉄宇品線の記念碑も設置される。また、東校舎解体に伴い、市の被爆建物リストから外れることになった。

アクセス

  • バス

広電バス 市内4号線(県庁~仁保南~仁保車庫線)東雲本町3丁目下車 徒歩5分

出典

  1. ^ “広島県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 2020年10月10日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 段原中学校HP
  • 原爆被災説明板 - 広島市
  • 記憶をたずねて 被爆建造物から - 2009年5月24日付読売新聞
  • ヒロシマをさがそう - ウェイバックマシン(2011年2月21日アーカイブ分) - NHK広島
  • 広島・段原中、被爆の記憶つなぐ 今春移転の校舎外壁保存へ - ウェイバックマシン(2016年3月5日アーカイブ分) - 2011年1月4日付中国新聞
  • ひろしま戦前の風景 - 中国放送(RCC)。戦前の映像がある。
広島県の被爆建物
爆心地島病院上空 (爆心地からの距離)
1km以内
1 - 2km
2 - 3km
3 - 4km
4 - 5km
  • 蓮光寺・門・観音堂(4.02km)
  • 熊野神社(矢賀;4.15km)
  • マツダ宇品工場(4.16km)
  • JR貨物広島車両所(4.25km)
  • 観音寺・本堂・鐘楼(4.25km)
  • 千暁寺・本堂(4.31km)
  • イエズス会聖ヨハネ修道院(4.50km)
  • 竈神社(4.52km)
  • 萬休寺・本堂・山門・庫裏(4.60km)
  • 西福寺・本堂・庫裏・山門(4.62km)
  • 旧広島県港湾事務所(4.64km)
  • 龍宮神社(4.78km)
  • 熊野神社・本殿(祇園;4.80km)
  • 慈光寺・山門(4.93km)
  • 鷺森神社(4.93km)
  • 海蔵寺・本堂・山門(4.95km)
  • 光明寺(4.96km)
  • 狐瓜木神社・本殿・拝殿(4.98km)
  • 浄教寺・本堂・山門・南門・経堂(4.98km)
  • 教専寺・本堂・経堂(4.99km)
  • 専念寺・本堂・鐘楼(4.99km)
  • 胡子神社・本殿・拝殿(草津;5.00km)
  • 稲生神社(草津;5.00km)
  • 草津八幡神社・本殿・拝殿(5.00km)
  • 西楽寺・本堂(5.00km)
解体・移転
モニュメント化
関連記事
  • Template:広島県の被爆橋梁
  • 表示
  • 編集