慧皎

慧皎
建武4年 - 承聖3年2月
497年 - 554年3月)
生地 会稽郡上虞県
没地 尋陽郡湓城県
寺院 嘉祥寺
著作高僧伝
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慧皎(えこう)は、中国南朝梁の。『高僧伝』の撰者。

略歴

会稽郡上虞県の出身であるが、氏族は不明である。

学は博く仏教と俗書に及んでおり、仏教では経律を修めた。会稽の嘉祥寺に住し、春夏には仏法を講説し、秋冬には著述に専心した。承聖2年(553年)、侯景の乱を避けて尋陽郡湓城県に移り、翌承聖3年(554年)2月に没した。享年58。廬山の禅閣寺に葬られた。

著書

参考文献

  • 紀贇 『慧皎〈高僧伝〉研究』 (上海古籍出版社、2009年)ISBN 978-7-5325-5140-8 現代中国語文献
  • 『慧皎 高僧伝』 吉川忠夫・船山徹訳注(岩波文庫 全4巻、2009年8月-2010年9月)
     1巻 ISBN 4003334213、2巻 ISBN 4003334221、3巻 ISBN 400333423X、4巻 ISBN 4003334248
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