指扇村

さしおうぎむら
指扇村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 編入合併
北足立郡植水村片柳村指扇村七里村春岡村馬宮村大宮市
現在の自治体 さいたま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 10.12 km2.
総人口 5,543
(住民登録人口、1954年7月1日)
隣接自治体 大宮市北足立郡平方町馬宮村植水村、大谷村、入間郡古谷村
指扇村役場
所在地 埼玉県指扇村大字高木[1]
座標 北緯35度55分31秒 東経139度34分47秒 / 北緯35.92517度 東経139.57964度 / 35.92517; 139.57964座標: 北緯35度55分31秒 東経139度34分47秒 / 北緯35.92517度 東経139.57964度 / 35.92517; 139.57964
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指扇村(さしおうぎむら)は、かつて埼玉県北足立郡に存在していたである。現在のさいたま市西区の一部にあたる。

もと差扇指扇子とも書き、武蔵国足立郡に属した[1]

地理

関東平野の中にあり、村域内に山はなかった。地元で○○山などと呼ばれる場所はあるが、丘程度のものか、森である。大部分は大宮台地の上で、西部が荒川沿いの入り組んだ開析谷を有する低地だったが、村自体は荒川に接していなかった。東の境には鴨川が流れた。農村地帯で、水田が多くを占めた。

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北足立郡内野本郷村、指扇村、指扇領辻村、指扇領別所村、清河寺村、高木村、中釘村、西新井村・宝来村・峰岸村の区域をもって指扇村が成立。大字高木に村役場を設置[1]
    • 村名は小村の中で最も大きかった指扇村の名前が踏襲された。これら小村のうち、指扇村の中には赤羽根、台、増永、大西、下郷、大木戸、五味貝戸の七つの組があった。
  • 1955年昭和30年)1月1日 - 大宮市編入[2]。同日指扇村廃止。同村の大字は存続され、大宮市へ継承された。

1889年時点での村名は現在まで町名(大字など)として受け継がれているが、原や阿弥陀寺などそれ以前に消滅したものは残っていない(木ノ下や阿弥陀寺、北野貝戸(北貝戸)は町内会名に残る)。新屋敷、五味貝戸、赤羽根、琵琶島といった小字(小地名)がある。

地名の由来は地形に由来するもので、傾斜地を意味する「サシ」と崖や湿地を意味する「オギ」から付けられたと云われている[1]。また、江戸を「指」す「扇」の形をした地形であることが村名の由来という説がある。

交通

鉄道

指扇村は大宮町(後に大宮市)と川越町(後に川越市)の中間にあり、1902年(明治35年)に両町を結ぶ川越馬車鉄道が敷かれた。路面電車になって1906年(明治39年)から川越電気鉄道、1922年に経営が変わって西武大宮線になった。指扇村には五味貝戸駅が置かれた[1]

1940年(昭和15年)に大宮・川越間の別路線として川越線が敷かれると、大宮線は廃止になった。川越線の駅として村には指扇駅が置かれた。

道路

大宮と川越を結ぶ道路が村の南部を東西に通っていた。今の埼玉県道2号さいたま春日部線であり、以前の国道16号である。川越電気鉄道(西武大宮線)はこの道路に敷かれた。

脚注

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参考文献

関連項目

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