木村重太郎

曖昧さ回避 木村銃太郎」とは別人です。
木村 重太郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県
生年月日 (1968-05-12) 1968年5月12日(56歳)
身長
体重
174 cm
69 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 1996年
この表について
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オリンピック
野球
1996 男子

木村 重太郎(きむら じゅうたろう、1968年5月12日 - )は、熊本県宇土市出身の野球選手投手)。

経歴

鶴城中学から熊本工に進む。3年夏には選手権大会に出場。1回戦の対横浜商戦では二番手として登板し、勝利に貢献。2回戦の対広島工戦でも二番手として投げたが、0対1で惜敗。

高校3年次に鹿屋体育大学を受験したが不合格だったため、1987年社会人野球東芝に入った[1]。チームでの競争は厳しく、優勝した1991年の都市対抗では同学年の杉山賢人がエースとして活躍している。東芝が出場を逃した1993年の都市対抗には、川尻哲郎とともにいすゞ自動車の補強選手として参加した。

1996年にはアトランタ五輪代表に選ばれ、チーム唯一のサイドスロー投手だったこともあり登板数はチーム最多タイの6試合に登板。予選リーグの対アメリカ戦では1回途中で降板した三澤興一の後を受けるも、トロイ・グロースらに3連続本塁打を浴び、1死も取れずに降板してチームもコールド負けを喫する。続く対ニカラグア戦では二番手として3回1/3を投げ、2失点で勝利投手となりチームの連敗を3で止めた。決勝の対キューバ戦では2回途中から杉浦正則に代わって登板し、ルイス・ウラシアに2ランを浴びながらも3回1/3で7三振を奪い自責点2の内容だった。

現役引退後は東芝で社業を続けつつ、野球教室の講師を務めることもあるという[2]

脚注

  1. ^ 木村重太郎プロフィール フェイスブック
  2. ^ “社会人野球 東北勢よ、全国の強豪に 若手育成へ初の研修 選手28人が参加 日本野球連盟/宮城”. 毎日新聞. (2015年9月27日). http://mainichi.jp/ama-baseball/articles/20150927/ddl/k04/050/087000c 2016年5月6日閲覧。 

関連項目

外部リンク

  • 木村重太郎 - Olympedia(英語) ウィキデータを編集
  • JOC選手個人データ - 木村重太郎
  • 木村重太郎 (jutaro.kimura.9) - Facebook
 
日本の旗 野球日本代表
日本の旗 野球日本代表 - 1995年アジア野球選手権大会 1 1位
監督
  • 川島勝司
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
日本の旗 野球日本代表 - 1996 アトランタオリンピック 22位 銀メダル
監督

30 川島勝司

コーチ
投手
捕手
内野手
外野手