楊三哥

楊 三哥(よう さんか、ズオン・タム・カー、ベトナム語: Dương Tam Kha、生没年不詳)は、ベトナム呉朝を簒奪した君主。楊主将(よう しゅしょう、Dương Chủ Tướng)、楊紹洪(よう しょうこう、Dương Thiệu Hồng)とも記される。

楊廷芸の子。944年呉権の死に際してはその子の補佐を託されたが、遺命にそむき自立して平王を称した。950年呉昌文に捕らえられた。張楊公に降格されて食邑を与えられた[1]

脚注

  1. ^ ウィキソース出典  (中国語) 大越史記全書/外紀卷之五#楊三哥, ウィキソースより閲覧。 
先代
呉権
呉朝君主
第2代:944年 - 950年
次代
呉昌岌
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