沈約

二十四史
二十四史
司馬遷史記
班固漢書
范曄後漢書
陳寿『三国志』
房玄齢等『晋書
沈約『宋書
蕭子顕南斉書
姚思廉梁書
姚思廉『陳書
魏収魏書
李百薬北斉書
令狐徳棻等『周書
魏徴長孫無忌等『隋書
李延寿南史
李延寿『北史
劉昫等『旧唐書
欧陽脩宋祁新唐書
薛居正等『旧五代史
欧陽脩新五代史
脱脱等『宋史
脱脱等『遼史
脱脱等『金史
宋濂等『元史
張廷玉等『明史
二十六史
柯劭忞等『新元史
趙爾巽等『清史稿
その他
班固・劉珍・蔡邕等『東観漢記
中華民國版『清史(中国語版)
中華民國版『新清史』(未完)
中華人民共和国版『清史(中国語版)

沈 約(しん やく、元嘉18年(441年)- 天監12年閏3月11日(513年5月1日))は、中国南朝を代表する文学者政治家。字は休文本貫呉興郡武康県(現在の浙江省湖州市徳清県)。

生涯

沈璞の子として生まれた。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、南朝宋・斉・梁の3朝に仕えた。南朝斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の南朝梁の武帝)の挙兵に協力し、南朝梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。このためは、当初「文」とされるところを武帝の命により「隠」とされた。

著作・文学作品

歴史書では『宋書』および『晋書』『斉紀』を編纂した。の分野では同じ「八友」の仲間である謝朓王融らとともに、詩の韻律・形式美を自覚的に追求し、「永明体」と呼ばれる詩風を生み出した。その理論として四声(平・上・去・)・八病の説を唱えた。南朝の同時代の文壇において最も重きをなし、無名であった劉勰が『文心雕龍』を世に出そうとした時には、沈約に見せて評価を求めたという。『梁書』本伝によると彼の文集は100巻あったというが散逸し、現在伝わる文集は明代以降に再編集されたものである。

文献

  • 『梁書』 巻13、中華書局 
  • 『南史』 巻57、中華書局。 

日本語書籍

  • 興膳宏 編『六朝詩人傳』大修館書店、2000年。 原典訳注、大著
  • 興膳宏 編『六朝詩人群像』大修館書店〈あじあブックス〉、2001年。 列伝、木津祐子が担当
  • 網祐次『中国中世文学研究―永明文学を中心として―』新樹社、1960年。 
  • 興膳宏『乱世を生きる詩人たち―六朝詩人論―』研文出版、2001年。 
  • 今場正美『隱逸と文學―陶淵明と沈約を中心として―』朋友書店、2003年。 
  • 稀代麻也子宋書のなかの沈約 生きるということ』汲古書院、2004年。 

脚注

[脚注の使い方]

外部リンク

中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
沈約の作品
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • ノルウェー
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • イスラエル
  • アメリカ
  • 日本
  • 韓国
  • オランダ
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
人物
  • Trove(オーストラリア)
    • 1
その他
  • IdRef
スタブアイコン

この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、文人(小説家詩人歌人俳人著作家作詞家脚本家作家劇作家放送作家随筆家/コラムニスト文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。

  • 表示
  • 編集