渋谷伊予作

渋谷 伊予作(しぶたに/しぶや いよさく、天保13年11月18日(1842年12月19日) - 文久4年2月16日(1864年3月23日))は幕末期の下館藩士。常陸国下館(現・茨城県筑西市下館地区)出身。諱は実行(さねゆき)で八木成太郎(やぎ せいたろう)という変名も用いた。

来歴

  • 天保13年11月18日(1842年12月19日)、下館藩士の家に生まれる。文久2年(1862年)に下館藩を脱藩、京都に向かい尊王攘夷派に合流し、翌文久3年(1863年)天誅組大和挙兵に中山忠光とともに参加する。その際に伊勢国安濃郡の津藩(現・三重県津市)に捕えられる。そして文久4年2月16日(1864年3月23日)に京都の三条新地牢屋敷(六角獄舎)にて処刑される。享年23。

明治24年(1891年)、従四位を追贈された[1]

その他

脚注

  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.7

参考文献

  • 栄進堂印刷株式会社公式サイト(http://www.eishindo.co.jp/iyosaku/ondokashi/ondo.html : 2016年1月2日21時閲覧)


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