番匠谷尭二

番匠谷 尭二(ばんしょうや ぎょうじ、1930年 - 1999年)は、日本の都市計画家建築家

シリアの二大都市であるダマスカスアレッポの現行都市計画の礎をつくった人物。

略歴

1930年、立教大学教授番匠谷英一の次男として誕生。

1953年東京工業大学工学部建築学科卒業清家清に師事。

渡仏し、エコール・デ・ボザール、フランスのCIAM系アトリエ「ATBAT」に学ぶ。

その後北アフリカに渡り、アルジェの共生住宅集合住宅プロジェクト計画に参画。続いて1967年、国連開発計画UNDPの専門家として、シリアに赴任。1960年代にベイルート、ダマスカスの都市計画をミッシェル・エコシャールらとともに策定。

1975年にアレッポの都市マスタープランをポーランド人ヘンリク・ロレルらと策定。一方でアレッポ大学建築学部で教鞭をとっていた。

1999年、死去。

参考

  • きみは「番匠谷尭二」を知っているか?
  • 番匠谷尭二「正方形の家」新建築, 1953年5月号
  • 番匠谷尭二「海外ネットワーク 中近東」新建築, 1971年10月号
  • 番匠谷尭二「シリアにおける都市の形成」建築雑誌, 1977 年6月号
  • 松原康介「番匠谷尭二の中東・北アフリカ地域における業績について」都市計画論文集、2008年11月、43-3号 日本都市計画学会
  • 松原康介「歴史都市アレッポにおけるオスマニザシオンの系譜」都市計画論文集、2009年11月、44-3号 日本都市計画学会
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