瘴気

瘴気(しょうき)は、古代から19世紀まで、ある種の病気(現在は感染症に分類されるもの)を引き起こすと考えられた「悪い空気」。気体またはのようなエアロゾル状物質と考えられた。瘴気で起こると考えられた代表的な病気はマラリアで、この名は古いイタリア語で「悪い空気」という意味の mal aria から来ている[1]

ミアズママイアズマミアスマ)」 (μίασμα, miasma) ともいい[2]古代ギリシア語で「汚染」などを意味する[3]

漢字の「瘴」は、マラリアなど熱帯性の熱病とそれを生む風土を意味する[4]

歴史

古くは、古代ギリシアヒポクラテスが唱えている。彼によると、病気は「悪い土地」「悪い」「悪い空気」などにより発生する。「悪い空気」、つまり瘴気は、「悪い水」、つまり沼地湿地から発生し、人間がこれを吸うと体液のバランスを崩し病気になる。また、こうして病気になった人間も瘴気を発し、周囲の人間を感染させる[5]

瘴気説は、病気の原因は呪い祟りだとするような考えよりは、物理的な外因を想定している分、かなり前進している。マラリアを媒介するは「悪い水」で繁殖するため、「悪い水」の近くにいるとマラリアに罹りやすいというのは事実であり、それから推論・一般化した考えだとみなすこともできる[6]中国でも遅くとも唐代には、「悪い水」が瘴(マラリア)の原因らしいと認識されていたようである(韓愈「好収我骨瘴江辺」など)[4]

17世紀イギリスのトーマス・シーデナムは、瘴気が起こす病気として天然痘赤痢敗血症ペストなどを挙げた。また彼は、瘴気は地球内部から発生すると主張した[7]

19世紀イギリスのエドウィン・チャドウィックは、瘴気説を根拠に下水道の整備を訴えた。また、19世紀アメリカのジョン・ゴーリーは、空気中の瘴気を除去するために、氷冷式エアコン発明し病院に導入した。「悪い水」や「悪い空気」が病気の原因だという考えは原因と結果だけ見ればそう間違ってはおらず、公衆衛生においては一定の成果を上げたといえる[2]

否定する考え方

一方、古代ローマヴァロは、瘴気とは気体ではなく微小な動物だと主張した。これはマラリア媒介のことだと解釈すれば、真実を言い当てていた。しかしこの考えは瘴気説の主流とはならなかった。

16世紀イタリアのジローラモ・フラカストロは、病気が伝染する原因は、微小な生物である「contagium vivim(生きた接触体)」との接触(コンタギオン、コンタジョン)だと唱えた[8]。彼の主張は、「contagium vivim」の正体が未知であることを除けば、現在の病原体に対する理解と変わらないものであった。その後、1674年アントニ・ファン・レーウェンフック微生物を発見すると、微生物こそが「contagium vivim」ではないかという推測が現れた[9]ルイ・パストゥール細菌による発酵腐敗を研究した結果、「contagium vivim」の正体は細菌だとする説を主張した[2]

1876年ロベルト・コッホが、炭疽症の病原体と推測されていた炭疽菌が実際に病原体であることを、実験で証明した[10]。その後も次々と感染症の病原体が発見され、瘴気は否定された[11]

瘴気が原因と考えられた主な病気

19世紀にはコレラは瘴気によるものと考えられていた

現代の「瘴気」

ホメオパシーでは、瘴気 (miasma) から派生した概念であるマヤズム (miasm、カナ表記は英語式発音「マイアズム」の転訛[12]。希にミアズマとも) があらゆる病気の原因だと考える。ただしマヤズムは人間に内在する病因とされており、外から作用する病因である瘴気からは大きく意味を変えている[13]

関連項目

脚注

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  1. ^ 石井明 et al. 2002, p. 57.
  2. ^ a b c 門司和彦 2021, p. 216.
  3. ^ Henry George Liddell, Robert Scott, A Greek-English Lexicon
  4. ^ a b 福光由布 2015, p. 97.
  5. ^ ニーマイル & 岩佐純 1876, p. 14.
  6. ^ 門司和彦 2021, p. 218.
  7. ^ 大森弘喜 2010, p. 76.
  8. ^ 大森弘喜 2010, p. 107.
  9. ^ 大森弘喜 2010, p. 82.
  10. ^ 大森弘喜 2010, p. 96.
  11. ^ 大森弘喜 2010, p. 106.
  12. ^ 東京専門学校 & 1899-1901, p. 97.
  13. ^ 由井寅子 2007, p. 273.
  14. ^ 門司和彦 2021, p. 219.
  15. ^ 柳宇 2017, p. 12.

参考文献

  • ニーマイル、岩佐純『急性病類集 巻之3』告成堂、1876年、14頁。doi:10.11501/834774。 NCID BA43856415。OCLC 673314609。国立国会図書館書誌ID:000000474675。https://dl.ndl.go.jp/pid/834774/1/42023年4月17日閲覧 
  • 東京専門学校『英語講義』東京専門学校、1899-1901、97頁。doi:10.11501/869673。OCLC 682924632。国立国会図書館書誌ID:000000500399。https://dl.ndl.go.jp/pid/869673/1/502023年4月17日閲覧 
  • 石井明、永井伸彦、新井明治、平井誠「ソロモン諸島のマラリア」『南太平洋海域調査研究報告』第36号、鹿児島大学、2002年、55-65頁、ISSN 13450441、NAID 120001332005、OCLC 905770777、国立国会図書館書誌ID:110978984351739、2023年4月17日閲覧 
  • 由井寅子「アトピー性皮膚炎と子どものかかる病気の関係について」『日本未病システム学会雑誌』第13巻第2号、日本未病システム学会、2007年、271-273頁、doi:10.11288/mibyou1998.13.271、ISSN 13475541、NAID 130004185865、OCLC 5174590247、国立国会図書館書誌ID:9417623、2023年4月17日閲覧 
  • 大森弘喜「フランスにおける肺癆流行と公衆衛生(その2)」『成城大學經濟研究』第187号、成城大学経済学会、2010年、75-117頁、ISSN 03874753、NAID 110007673124、OCLC 5179339753、国立国会図書館書誌ID:10698735、2023年4月17日閲覧 
  • 福光由布「蘇軾の人生哲学と「書」制作」『広島大学大学院総合科学研究科紀要. I, 人間科学研究』第10号、広島大学大学院総合科学研究科、2015年、79-80頁、ISSN 18817688、NAID 120006338098、OCLC 948496807、CRID 1050845762895595392、2023年4月17日閲覧 
  • 柳宇「平成28年度委員会終了報告書概要 室内空気質のための必要換気量」『空気調和・衛生工学』第91巻第8号、空気調和・衛生工学会、2017年、843-847頁、ISSN 03864081、NAID 40021303559、OCLC 7123432374、国立国会図書館書誌ID:028479921、2023年4月17日閲覧 
  • 門司和彦「二酸化炭素=ミアズマ仮説」『日本健康学会誌』第87巻第5号、日本健康学会、2021年、214-222頁、doi:10.3861/kenko.87.5_214、ISSN 24326712、NAID 130008112429、OCLC 9343670245、国立国会図書館書誌ID:031810533、2023年4月17日閲覧