紀元前160年
世紀 | 前3世紀 - 前2世紀 - 前1世紀 |
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十年紀 | 前180年代 前170年代 前160年代 前150年代 前140年代 |
年 | 前163年 前162年 前161年 紀元前160年 前159年 前158年 前157年 |
紀元前160年(きげんぜん160ねん)は、ローマ暦の年である。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
できごと
セレウコス朝
- セレウコス朝の王デメトリオス1世は、帝国の東方での軍事行動に当たって、将軍のバッキデスを西方の統治に当たらせた。
- ユダヤの大祭司アルキモスからの支援の要求に対し、セレウコス朝の将軍バッキデスはこの独立王国を再征服するため、ユダヤに軍を進めた。バッキデスはガリラヤで大虐殺を行った後、すぐにユダヤとの戦闘を行った。彼はすぐにエルサレムに進行して街を包囲し、マカバイのリーダーであるユダ・マカバイを罠にかけた。しかしユダと彼の支持者の多くはなんとか包囲を抜け出した。
- ユダ・マカバイと彼の多くの支持者は再度軍備を整え、今日のラマッラー近郊で行われたエラサの戦いでセレウコス朝の軍と対峙した。
- ユダ・マカバイは弟のヨナタンに指導者の地位を引き継いだ。
- デメトリオス1世は反乱軍の将軍ティマルコスを破って殺害し、ローマ元老院からセレウコス朝の王として認知された。デメトリオスは、彼らをティマルコスの暴政から救ったことで、「救世主」という意味のソテルという添え名をバビロニアから与えられた。
- パルティア王ミトラダテス1世はティマルコスの死後、セレウコス朝からメディア王国を奪った。
バクトリア
- バクトリア王エウクラティデス1世は、王国の西部に侵攻した際、インド・グリーク朝の王アポロドトス1世を殺害したと考えられている。
アルメニア
- アルタウァスデス1世は父のアルタクセス1世からアルメニアの王位を引き継いだ。
ローマ帝国
- ローマの劇作家プビリウス・テレンティウス・アフェルの戯曲『兄弟(Adelphoe)』が将軍ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスの葬儀で初演された。
誕生
「Category:紀元前160年生」も参照
- ユグルタ - ヌミディア王(紀元前104年没)
- ビテュニアのテオドシオス - ギリシアの天文学者、数学者(紀元前100年没)
死去
「Category:紀元前160年没」も参照
- ガイウス・ラエリウス - ローマの将軍、政治家
- ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクス - ローマの執政官(紀元前229年生)
- アルタクセス1世 - アルメニア王
- アポロドトス1世 - インド・グリーク朝の王
- ユダ・マカバイ - ユダヤ人の祭司マタティアの三男
- ティマルコス - セレウコス朝の貴族
脚注
注釈
出典
[脚注の使い方]
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、紀元前160年に関連するカテゴリがあります。