西周公(せいしゅうこう)は、戦国時代に現れた周の諸侯。
紀元前440年、周の考王が弟の姫掲(桓公)を河南(王城)に封じたことにはじまる。これが西周である。
紀元前367年に東周(鞏)が成立すると、周王の領土(成周)も含めて周は3分されることとなって、周の弱体化はますます進んだ。
紀元前256年、秦の攻撃を受けて、西周の文公は降伏し、西周は滅んだ。