1900年パリオリンピックのテニス競技

1900年パリオリンピック
テニス競技
会場Île de Puteaux
開催日7月6日 - 7月11日
参加選手数4か国 26人
« 18961904 »

1900年パリオリンピックテニス競技(1900ねんパリオリンピックのテニスきょうぎ)の成績結果に関する記事。

大会の流れ

  • この第2回近代オリンピックで女子選手の参加が認められ、テニス競技でも初めての「女子シングルス」と「混合ダブルス」が実施された。参加した女子選手は、総計6名であった。
  • この大会では、準決勝で敗退した選手2名 / 2組による「銅メダル決定戦」は行わず、両方に銅メダルを授与した。
  • 男子・混合ダブルスでは、違う国の選手がペアを組む「混合チーム」(ZZX)もあった。この場合は「国・地域」の欄に2つの国名を並べ、選手名もその順番によって記載する。国別メダル受賞数の欄では「混合チーム」として別途に数える。

メダル受賞者

種目
男子シングルス イギリス ローレンス・ドハティー
イギリス (GBR)
イギリス ハロルド・マホニー
イギリス (GBR)[1]
イギリス レジナルド・ドハティー
イギリス (GBR)
イギリス アーサー・ノリス
イギリス (GBR)
男子ダブルス イギリス レジナルド・ドハティー
and ローレンス・ドハティー
イギリス (GBR)
混合チーム マックス・デキュジス
and バシル・スポールディング・デ・ガーメンディア
混合チーム (ZZX) [2]
フランス ジョルジュ・ド・ラ・シャペル
and アンドレ・プレボー
フランス (FRA)
イギリス ハロルド・マホニー [1]
and アーサー・ノリス
イギリス (GBR)
女子シングルス イギリス シャーロット・クーパー
イギリス (GBR)
フランス エレーヌ・プレボー
フランス (FRA)
アメリカ合衆国 マリオン・ジョーンズ
アメリカ合衆国 (USA)
ボヘミア ヘドヴィガ・ローゼンバウモワ
ボヘミア (BOH)
混合ダブルス イギリス レジナルド・ドハティー
and シャーロット・クーパー
イギリス (GBR)
混合チーム エレーヌ・プレボー
and ハロルド・マホニー
混合チーム (ZZX) [3]
混合チーム ローレンス・ドハティー
and マリオン・ジョーンズ
混合チーム (ZZX) [4]
混合チーム アーチボルド・ワーデン
and ヘドヴィガ・ローゼンバウモワ
混合チーム (ZZX) [5]

競技結果

男子シングルス

準決勝

決勝

男子ダブルス

準決勝

決勝

女子シングルス

準決勝

決勝

混合ダブルス

準決勝

決勝

国別メダル受賞数

国・地域
1 イギリス イギリス 4 1 3 8
2 混合チーム 混合チーム 0 2 2 4
3 フランス フランス 0 1 1 2
4 アメリカ合衆国 アメリカ合衆国 0 0 1 1
ボヘミア ボヘミア 0 0 1 1
総計 4 4 8 16
  • 男子・混合ダブルスの「混合チーム」によるメダルは別途に数え、各選手が所属する国のメダル獲得数には含めない。(例:男子ダブルス銀メダルの場合、マックス・デキュジス選手の属する「フランス」やバシル・スポールディング・デ・ガーメンディア選手の属する「アメリカ」の獲得メダル数には含めない。)

脚注

  1. ^ a b ハロルド・マホニーはアイルランドの選手であるが、IOCのオリンピック選手データベースでは「イギリス」(GBR)に掲載されているため、メダル獲得数一覧でも「イギリス」に数える。[1]
  2. ^ マックス・デキュジスはフランス フランス、バシル・スポールディング・デ・ガーメンディアはアメリカ合衆国 アメリカ合衆国の混合チーム。
  3. ^ エレーヌ・プレボーはフランス フランス、ハロルド・マホニーはアイルランド選手であるがイギリス イギリス扱いの混合チーム。
  4. ^ ローレンス・ドハティーはイギリス イギリス、マリオン・ジョーンズはアメリカ合衆国 アメリカ合衆国の混合チーム。
  5. ^ アーチボルド・ワーデンはアメリカ合衆国 アメリカ合衆国、ヘドヴィガ・ローゼンバウモワはボヘミア ボヘミアの混合チーム。

外部リンク

ポータル オリンピック
  • アテネオリンピックテニス・メディアガイド (英語、全146ページのPDFファイル)
メダリスト一覧カテゴリ カテゴリ