ものまね四天王

ものまね四天王
メンバー 清水アキラ
ビジーフォー
グッチ裕三モト冬樹
栗田貫一
コロッケ
結成年 1988年
解散年 1992年
事務所 複数の芸能事務所
活動時期 1988年 - 1992年
出会い フジテレビものまね王座決定戦
芸種 ものまね
過去の代表番組 『ものまね王座決定戦』
ものまね珍坊
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ものまね四天王(ものまねしてんのう)とは、かつてフジテレビの『ものまね王座決定戦』で人気・実力を不動のものにし、一世を風靡した清水アキラビジーフォーグッチ裕三モト冬樹)・栗田貫一・コロッケのものまねタレント4組、またはその個々を指す呼称である。

概要

  • ものまねブーム」が始まった1990年頃に、番組の高視聴率や優勝回数が多いことなどに伴い、フジテレビの『ものまね王座決定戦』で命名されたのが始まりである。その後、四天王はレギュラー番組『ものまね珍坊』など様々な箇所で活躍して、以後バラエティ番組の歴史では欠かせない代名詞となった。
  • しかし、1992年にコロッケがプロデューサーであった木村忠寛との確執や事務所独立を巡る軋轢等から『ものまね王座』をはじめとするフジテレビのものまね番組から降板。その後コロッケが日本テレビの『ものまねバトル』に出演するようになってからは、栗田と清水、ビジーフォーのグッチ裕三モト冬樹の4人を、または『発表!日本ものまね大賞』優勝を経てプロデビューした布施辰徳を加えた4組を指す言葉として使われたが、程なくしてビジーフォーも番組を降板し、ものまね四天王は事実上消滅した。

消滅後

メンバー

ディスコグラフィー

  • バカと呼ばれたい/ものまね天国(1990年8月8日発売、東芝EMI

ものまね女四天王・ものまねお笑い四天王

松居直美・松本明子篠塚満由美しのざき美知がものまね女四天王と呼ばれた。その後、しのざきの代わりに斉藤ルミ子が四天王入りした。また、篠塚が新人の松下桂子と期間限定ユニット「しじみとさざえ」を組んでいた時期は「しじみとさざえ」が四天王扱いとなった[3]

しのざき美知・ダチョウ倶楽部笑福亭笑瓶ピンクの電話がものまねお笑い四天王と呼ばれた。

元祖ものまね四天王

当時は佐々木つとむはたけんじ堺すすむの3人を「ものまね御三家」と呼んでいた[4]。後に団しん也を加えた4人を「元祖ものまね四天王」と呼ぶようになった。

脚注

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注釈

出典

  1. ^ ものまね四天王23年ぶり集結 栗田貫一はバッシングを一蹴
  2. ^ 「ものまね四天王」26年ぶりテレビ共演!梅沢富美男が不仲説に切り込む,スポニチアネックス,2018年6月13日
  3. ^ 時給は90円…元ものまね女四天王“しじみ” 語る沖縄での1年日刊ゲンダイ 2015年10月12日
  4. ^ “ベテラン芸人はたけんじさん 「仕事よりゴルフ」で豪華な人脈”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2015年6月8日). 2021年12月1日閲覧。

関連番組

テレビ番組
ビジーフォー
ラジオ番組
ビジーフォー

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ビジーフォー/
ビジーフォー・スペシャル

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関連項目
関連人物