アストンマーチャン

曖昧さ回避 自動車ブランドの「アストンマーティン」とは異なります。
アストンマーチャン
2007桜花賞
現役期間 2006年 - 2008年[1]
欧字表記 Aston Machan[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 2004年3月5日[1]
死没 2008年4月21日(4歳没)[2]
アドマイヤコジーン[1]
ラスリングカプス[1]
母の父 Woodman[1]
生国 日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者 社台ファーム[1]
馬主 戸佐眞弓[1]
調教師 石坂正[1]栗東
調教助手 上田和也[3]
競走成績
生涯成績 11戦5勝[1]
獲得賞金 2億4899万7000円[4]
勝ち鞍
GI スプリンターズS 2007年
JpnII フィリーズレビュー 2007年
GIII 小倉2歳ステークス 2006年
GIII ファンタジーS 2006年
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アストンマーチャン(欧字名:Aston Machan2004年3月5日 - 2008年4月21日)は、日本競走馬[1]

未勝利戦から3連勝、重賞2連勝で臨んだ阪神ジュベナイルフィリーズでは、後の顕彰馬ウオッカにクビ差の2着。桜花賞では、後にGI級競走4勝を挙げるダイワスカーレットを上回り、ウオッカに続いて2番人気に評価されていた。桜花賞敗退後は、短距離路線に転進した。

スプリンターズステークスでは、古馬相手に逃げ切ってJRAGIタイトルに到達。1992年ニシノフラワー以来、グレード制導入後史上2例目となる3歳牝馬のスプリンターズステークス優勝を果たした。

流行のサンデーサイレンスを血統に持ち合わせていないことから、繁殖牝馬としても期待されていたが、競走馬として迎えた4歳春、原因不明のX大腸炎に冒され、急性心不全で早世した。

その他の勝ち鞍に、2007年のフィリーズレビューJpnII)、2006年のファンタジーステークスGIII)、小倉2歳ステークスGIII)。

生涯

デビューまで

ラスリングカプスは、アメリカで生産されたのち日本に渡ったウッドマン産駒で、競走馬として1997年までに15戦3勝の成績を残し、繁殖牝馬となった[5]。2003年には引退直後の新種牡馬アドマイヤコジーンが配合[6]。2004年3月5日、北海道千歳市社台ファームにて鹿毛牝馬(後のアストンマーチャン)が誕生する。直後に、1歳上の兄の管理が内定していた栗東トレーニングセンター所属の調教師石坂正が対面、産まれた仔への評価は高かったが、すぐにその場で管理を申し出るほどの手応えではなかった[7]

アドマイヤコジーンの初年度産駒ゆえに、特徴をつかみにくく買い手がつかない危険もあったが、女性医師戸佐眞弓の所有が決定、戸佐にとって自身2頭目の所有馬であった[8]。巡り巡って石坂が管理することが決定した[7]。牧場では「優等生」であったという[9]。特にアクシデントなく成長していった[9]

戸佐により、イギリス製の自動車ブランドである「アストンマーティン」に戸佐の学生時代の愛称「マーちゃん」を掛け合わせて「アストンマーチャン」という競走馬名が与えられた[10]。なお、馬名登録の際には「サーキット名」に「人名愛称」を組み合わせたもの[注釈 1]と説明して、審査を通過した[11]

2歳(2006年)

2006年7月22日小倉競馬場新馬戦(芝1200メートル)でデビュー。武豊が騎乗し2番人気で出走したが、1番人気のシャルマンレーヌにクビ差振り切られ2着に敗れた[12]。武は外に斜行したことに敗因を求め[13]、石坂は斜行について、ターフビジョンに映る姿に驚いたと分析している[14]。同じく小倉、8月6日の未勝利戦(芝1200メートル)で和田竜二に乗り替わり、単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持されて出走。2番手から逃げ馬を半馬身かわして初勝利を挙げた[15]

9月3日の小倉2歳ステークスGIII)では、鮫島良太に乗り替わり単勝3番人気で出走。外枠から2番手に位置、最終コーナーで先頭に立ち、後方に2馬身半の差をつけて先頭で入線し、重賞初勝利を果たした[16]。デビュー2年目の鮫島、産駒デビュー初年度のアドマイヤコジーンにとっても初の重賞タイトルであった[16]

小倉3戦の疲労から、宮城県山元町のの山元トレーニングセンターで2か月の放牧となった[9][17]。この間に石坂はアストンマーチャンの内面と外面が一変したことを認めている。11月5日のファンタジーステークスGIII)で復帰、武に再び乗り替わり3番人気で出走した。中団の位置から、第3コーナーから進出。最終コーナーを3番手で通過し、手応え十分のまま直線に入った[14]。残り200メートルで共に追い上げたイクスキューズ、逃げたアドマイヤプルートの3頭で並んだが、アストンマーチャンが差を広げて独走[14]。決勝線通過する頃には、2番手のイクスキューズに5馬身差をつけていた。走破タイムの1分20秒3は、ファンタジーステークスレコードを0.9秒更新、JRA2歳レコードを0.5秒更新したものであり、重賞連勝となった[14]

映像外部リンク
2006年 阪神ジュベナイルフィリーズ
レース映像 jraofficial(JRA公式YouTubeチャンネル)による動画

続いて、12月3日の阪神ジュベナイルフィリーズGI)に進み、単勝1.6倍の1番人気に支持された。続く2番人気のルミナスハーバーが8.9倍であったことから、多くがアストンマーチャンを推す状況であった[18]。スタートから馬場の内側3番手に位置し、直線で先頭に立った[19]。残り200メートルで後方におよそ3馬身離す独走態勢であったが、外から追い上げる4番人気ウオッカが迫り来て、決勝線を2頭並んで通過した[19]。しかし、ウオッカのクビ差先着が認められ、2着に敗れた[18]。レース後放牧に出された[19]

年末のJRA賞選考では、JRA賞最優秀2歳牝馬部門で289票中16票を集めていたが[20]、ウオッカが271票を獲得し、JRA賞最優秀2歳牝馬を受賞している[20]

3-4歳(2007-08年)

桜花賞の本馬場入場

3歳となった2007年3月11日桜花賞トライアル競走であるフィリーズレビューJpnII)で始動、ウオッカなど有力なライバルがチューリップ賞GIII)に進んだこともあり、単勝オッズ1.1倍の1番人気に推された[21]。3,4番手から直線で抜け出し、後方に2馬身半差をつけて勝利。続く桜花賞(JpnI)では、ウオッカに次ぐ2番人気で出走。コーナーリングで2番手に浮上したが、伸びることなく、ウオッカと3番人気ダイワスカーレットの争いに1秒遅れた7着に敗れた。武は「全身に力を入れていた分、いつものフォームで走れてなかった[21]」とし、担当調教助手の上田和也は、直前の食欲と、体調面に敗因を求めている[21]。その後、石坂は適性が短距離にあると断定し、秋のスプリンターズステークスに目標を据え、NHKマイルカップ優駿牝馬(オークス)は回避、社台ファームへ放牧に出た[21][22]

スプリンターズステークスの前哨戦として、8月12日の北九州記念JpnIII)を選択。古馬との初顔合わせとなったが、単勝1.8倍の1番人気に支持された。岩田康誠の騎乗により好位に取り付いたが、直線で伸びず6着に敗れた[23]

映像外部リンク
2007年 スプリンターズステークス
レース映像 jraofficial(JRA公式YouTubeチャンネル)による動画

続いて、9月30日のスプリンターズステークス(GI)に出走。石坂は、出走に際して1日1本の坂路調教を2本に増やして身体面の強化に努め、当日の馬体重は前走から10キログラム増加させることに成功した[23]。武が春の高松宮記念優勝馬スズカフェニックスに騎乗するため、石坂は鞍上にベテランの中舘英二を起用、スズカフェニックスが2番人気、アストンマーチャンは3番人気であった[24]

雨中の不良馬場にスピードを十分に発揮できないと考えた石坂は、中舘に「この馬場だから内も外も関係ない。駄目でもいいから内を回ってこい[10]」と指示した。その通りに、好スタートを切るローエングリンを上回り、馬場の内側先頭に立ち、後方に3馬身離す逃げを展開した[24]。後方が迫り来ないまま、独走状態で直線に進入。アストンマーチャン自身は加速することはなかったが、中舘の左ムチに応えて粘り、追い上げる後方勢を4分の3馬身離して決勝線を通過した[24]。入線後、中舘は右手でガッツポーズを見せた[24]。アストンマーチャンはGI初勝利、重賞4勝目[10]。GI昇格後では、1992年ニシノフラワー以来、史上2例目となる3歳牝馬の優勝を果たした[25]。また中舘はヒシアマゾンで制した1994年のエリザベス女王杯以来のGI勝利、石坂はダイタクヤマト[注釈 2]で制した2000年以来のスプリンターズステークス勝利であった[10]

10月27日スワンステークスGII)では、最後は失速して14着。香港スプリントG1)に予備登録を行っていたが[26]10月23日馬インフルエンザの影響で検疫期間が1ヶ月かかることから回避し、放牧に出された[4]。4歳となった2008年、2月10日のシルクロードステークスGIII)で復帰。武に再び乗り替わり、1番人気に推されたが10着に敗退[4]。続いて高松宮記念(GI)を目指していた。

死亡

高松宮記念をおよそ1か月後に控えた3月3日、体調を崩したことから、高松宮記念を回避することが発表。それから、原因不明の大腸炎であるX大腸炎を発症し、栗東トレーニングセンター競走馬診療所に入院した[27]。しかし、4月21日、急性心不全により死亡[28]。石坂が最期を見届けた[27]。石坂は「スプリンターズステークスは勝ったがその後の管理が悪く、ストレスが原因で病気になってしまった」と悔やんでいる[29]

競走成績

以下の内容は、JBISサーチ[30]およびnetkeiba.com[31]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
2006.07.22 小倉 2歳新馬 芝1200m(良) 13 3 3 002.60(2人) 02着 R1:08.2(34.3) -0.0 0武豊 54 シャルマンレーヌ 462
0000.08.06 小倉 2歳未勝利 芝1200m(良) 13 1 1 001.30(1人) 01着 R1:08.9(35.3) -0.1 0和田竜二 54 (アントラン) 468
0000.09.03 小倉 小倉2歳S GIII 芝1200m(良) 14 7 12 005.00(3人) 01着 R1:08.4(35.9) -0.4 0鮫島良太 54 (ニシノマオ) 466
0000.11.05 京都 ファンタジーS GIII 芝1400m(良) 14 7 12 004.80(3人) 01着 R1:20.3(33.6) -0.8 0武豊 54 イクスキューズ 460
0000.12.03 阪神 阪神JF GI 芝1600m(良) 18 5 9 001.60(1人) 02着 R1:33.1(34.5) -0.0 0武豊 54 ウオッカ 460
2007.03.11 阪神 フィリーズレビュー JpnII 芝1400m(良) 16 6 12 001.10(1人) 01着 R1:21.8(35.0) -0.4 0武豊 54 (アマノチェリーラン) 466
0000.04.08 阪神 桜花賞 JpnI 芝1600m(良) 18 7 15 005.20(2人) 07着 R1:34.9(34.9) -1.2 0武豊 55 ダイワスカーレット 468
0000.08.12 小倉 北九州記念 JpnIII 芝1200m(良) 16 4 7 001.80(1人) 06着 R1:08.1(35.7) -0.4 0岩田康誠 53 キョウワロアリング 476
0000.09.30 中山 スプリンターズS GI 芝1200m(不) 16 4 7 005.60(3人) 01着 R1:09.4(36.3) -0.1 0中舘英二 53 サンアディユ 486
0000.10.27 京都 スワンS GII 芝1400m(稍) 18 3 6 003.60(1人) 14着 R1:22.3(37.1) -1.6 0中舘英二 55 スーパーホーネット 482
2008.02.10 京都 シルクロードS GIII 芝1200m(稍) 16 6 12 002.50(1人) 10着 R1:10.0(36.3) -0.9 0武豊 56 ファイングレイン 484
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す

血統表

アストンマーチャン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 カロ系
[§ 2]

アドマイヤコジーン
1996 芦毛
父の父
Cozzene
1980 芦毛
Caro *フォルティノ
Chambord
Ride the Trails Prince John
Wildwook
父の母
アドマイヤマカディ
1991 栗毛
*ノーザンテースト Northern Dancer
Lady Victoria
*ミセスマカディー *トライバルチーフ
Hanina

ラスリングカプス
1993 黒鹿毛
Woodman
1983 栗毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
*プレイメイト Buckpasser
Intriguing
母の母
*フィールディ
Fieldy
1983 鹿毛
Northfields Northern Dancer
Little Hut
Gramy Tapioca
Gracile
母系(F-No.) (FN:2-n) [§ 3]
5代内の近親交配 Northern Dancer 4×4 [§ 4]
出典
  1. ^ [32]
  2. ^ [33]
  3. ^ [32]
  4. ^ [33]


脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ アストンマーティン自体の由来もサーキット名(アストンヒル(英語版))と共同創設者の人名(ライオネル・マーティン(英語版))を組み合わせたものである。
  2. ^ 担当調教助手の上田和也は、ダイタクヤマトも担当していた。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o “アストンマーチャン”. JBISサーチ. 2021年7月20日閲覧。
  2. ^ “アストンマーチャン死亡(24日)”. 競馬ブック. 2021年7月20日閲覧。
  3. ^ “【オークス】シンハライト“小さな画伯”と1冠獲りの夢描く”. スポーツニッポン. オリジナルの2013年7月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160713130315/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2016/05/19/kiji/K20160519012612130.html 2021年7月20日閲覧。 
  4. ^ a b c 『優駿』2009年9月号 161頁
  5. ^ “ラスリングカプス(USA)”. JBISサーチ. 2021年7月20日閲覧。
  6. ^ “繁殖牝馬情報:牝系情報|ラスリングカプス(USA)”. JBISサーチ. 2021年7月20日閲覧。
  7. ^ a b 『優駿』2009年9月号 155頁
  8. ^ 『優駿』2007年11月号 35頁
  9. ^ a b c “2006年09月03日 小倉2歳S G3 重賞ウイナーレポート”. 競走馬のふるさと案内所. 2021年7月20日閲覧。
  10. ^ a b c d “スプリンターズステークスG1/’07競馬G1プレイバック”. デイリースポーツ. (2007年9月30日). オリジナルの2016年4月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160403105917/https://www.daily.co.jp/horse/schedule2007/070930g1.shtml 2021年7月20日閲覧。 
  11. ^ “【ファンタジーS】2006年アストンマーチャンのハイスピードに隠れてしまった馬名の由来” (2020年11月6日). 2020年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月20日閲覧。
  12. ^ “【新馬戦】(小倉5R)シャルマンレーヌ接戦を制し新馬V”. ラジオNIKKEI. (2021年7月20日). オリジナルの2021年7月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210720003943/http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-136743.html 2021年7月20日閲覧。 
  13. ^ 『優駿』2009年9月号 155頁
  14. ^ a b c d 『優駿』2009年9月号 156頁
  15. ^ “【未勝利】(小倉1R)アストンマーチャン 順当勝ち”. ラジオNIKKEI. (2021年7月20日). オリジナルの2021年7月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210720004008/http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-136957.html 2021年7月20日閲覧。 
  16. ^ a b “小倉2歳S、アストンマーチャン快勝”. netkeiba.com. (2006年9月3日). オリジナルの2021年7月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210720012352/https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=15496 2021年7月20日閲覧。 
  17. ^ “【ファンタジーS】栗東レポート〜アストンマーチャン”. ラジオNIKKEI. (2006年11月1日). オリジナルの2021年7月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210720015217/http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-138251.html 2021年7月20日閲覧。 
  18. ^ a b “【思い出のGIレース=2006(平成18)年「阪神JF」】“生まれた年が悪かった”最強牝馬世代の激戦”. 東京スポーツ. (2019年12月3日). オリジナルの2021年1月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210123050530/https://www.tokyo-sports.co.jp/horse/jra/1645374/ 2021年7月20日閲覧。 
  19. ^ a b c 『優駿』2009年9月号 157頁
  20. ^ a b “2006年度JRA賞 記者投票の集計結果”. ラジオNIKKEI. (2007年1月9日). オリジナルの2021年1月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210112024016/http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-139342.html 2021年7月20日閲覧。 
  21. ^ a b c d 『優駿』2009年9月号 158頁
  22. ^ “2007年09月30日 スプリンターズS GI「重賞ウイナーレポート」”. 競走馬のふるさと案内所. 2021年7月20日閲覧。
  23. ^ a b 『優駿』2009年9月号 159頁
  24. ^ a b c d 『優駿』2009年9月号 160頁
  25. ^ 『優駿』2007年11月号 57頁
  26. ^ “【香港スプリント】(G1)〜アストンマーチャン、サンアディユなど11頭登録”. ラジオNIKKEI. (2007年10月15日). オリジナルの2021年1月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210113194632/http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-142821.html 2021年7月20日閲覧。 
  27. ^ a b “マーチャン病死、X大腸炎2カ月治療も…”. 日刊スポーツ. (2008年4月25日). オリジナルの2010年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101005101555/https://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080425-352170.html 2021年7月20日閲覧。 
  28. ^ “アストンマーチャンが死亡”. ラジオNIKKEI. http://keiba.radionikkei.jp/keiba/news/entry-148655.html 2008年4月24日閲覧。 
  29. ^ 『優駿』2012年12月号、19頁。 
  30. ^ “アストンマーチャン 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年11月10日閲覧。
  31. ^ “アストンマーチャンの競走成績”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年11月10日閲覧。
  32. ^ a b “血統情報:5代血統表|アストンマーチャン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年11月10日閲覧。
  33. ^ a b “アストンマーチャン (Aston Machan)の血統表”. netkeiba.com. 2023年4月9日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 2007年11月号
      • 岡本光男(日刊スポーツ・関西)「【クローズアップ】アストンマーチャン 『心技体』が一つになって掴んだ勝利」
      • 河村清明「【サラブレッド・ヒロイン列伝】アストンマーチャン 愛らしきスプリンター"べっぴんさん"」

外部リンク

   

国際競走指定前:
01回(1967年) オンワードヒル
02回(1968年) スズハヤテ
03回(1969年) タケシバオー
04回(1970年) タマミ
05回(1971年) ケンサチオー
06回(1972年) ノボルトウコウ
07回(1973年) キョウエイグリーン
08回(1974年) サクライワイ
09回(1975年) サクライワイ
第10回(1976年) ジャンボキング
第11回(1977年) メイワキミコ
第12回(1978年) メイワキミコ
第13回(1979年) サニーフラワー
第14回(1980年) サクラゴッド
第15回(1981年) サクラシンゲキ
第16回(1982年) ブロケード
第17回(1983年) シンウルフ
第18回(1984年) ハッピープログレス
第19回(1985年) マルタカストーム

第20回(1986年) ドウカンテスコ
第21回(1987年) キングフローリック
第22回(1988年) ダイナアクトレス
第23回(1989年) ウィニングスマイル
第24回(1990年) バンブーメモリー
第25回(1991年) ダイイチルビー
第26回(1992年) ニシノフラワー
第27回(1993年) サクラバクシンオー

国際競走指定後:
第28回(1994年) 日本の旗 サクラバクシンオー
第29回(1995年) 日本の旗 ヒシアケボノ
第30回(1996年) 日本の旗 フラワーパーク
第31回(1997年) 日本の旗 タイキシャトル
第32回(1998年) 日本の旗 マイネルラヴ
第33回(1999年) 日本の旗 ブラックホーク
第34回(2000年) 日本の旗 ダイタクヤマト
第35回(2001年) 日本の旗 トロットスター
第36回(2002年) 日本の旗 ビリーヴ
第37回(2003年) 日本の旗 デュランダル

第38回(2004年) 日本の旗 カルストンライトオ
第39回(2005年) 香港の旗 サイレントウィットネス
第40回(2006年) オーストラリアの旗 テイクオーバーターゲット
第41回(2007年) 日本の旗 アストンマーチャン
第42回(2008年) 日本の旗 スリープレスナイト
第43回(2009年) 日本の旗 ローレルゲレイロ
第44回(2010年) 香港の旗 ウルトラファンタジー
第45回(2011年) 日本の旗 カレンチャン
第46回(2012年) 日本の旗 ロードカナロア
第47回(2013年) 日本の旗 ロードカナロア
第48回(2014年) 日本の旗 スノードラゴン
第49回(2015年) 日本の旗 ストレイトガール
第50回(2016年) 日本の旗 レッドファルクス
第51回(2017年) 日本の旗 レッドファルクス
第52回(2018年) 日本の旗 ファインニードル
第53回(2019年) 日本の旗 タワーオブロンドン
第54回(2020年) 日本の旗 グランアレグリア
第55回(2021年) 日本の旗 ピクシーナイト
第56回(2022年) 日本の旗 ジャンダルム
第57回(2023年) 日本の旗 ママコチャ