アデレード市街地コース

Adelaide Street Circuit

Shorter route
所在地南オーストラリア州アデレード
標準時UTC+9.5 (UTC+10.5 DST)
所有者アデレード市議会
オープン1985年10月31日
再開:1999年
閉鎖1995年
主なイベントオーストラリアグランプリ
V8スーパーカー
ALMS
Grand Prix circuit
コース長3.780 km (2.349 mi)
コーナー数16
レコードタイム1:15.381 (デイモン・ヒル, Williams Renault FW15C, 1993, F1)
V8 Supercar circuit
コース長3.219 km (2.000 mi)
コーナー数15
レコードタイム1:18.6011 (アール・バンバー, ダラーラ・F307 メルセデス・ベンツ, 2008, オーストラリアF3)

アデレード・ストリート・サーキット: Adelaide Street Circuit、アデレード市街地コース)は、オーストラリア南部の都市アデレードにあるサーキット公道コース)。1985年から1995年までF1オーストラリアGPに使用された。

概要

ヴィクトリア公園(第16公園)を基点に、周辺のアデレード市街を使用するレイアウトである。もともと、ヴィクトリア公園には、ヴィクトリア公園競馬場が設置されており、コントロールライン、ピット、パドックは競馬場の内馬場部分に特別に作られた。 なお、競馬場は、2008年のアデレード市議会にて、馬場とサーキットコースの改修案が否決されたことを受け、モーフェットビル競馬場に移転している。

公園内の常設コースをスタートし、旧競馬場芝コースを跨ぐと第1シケイン(セナ・シケイン)があり、一般道への取り付け道路からウェイクフィールド・ロードに入る。第15公園の縁を進むようにイースト・テラスに入り、第15公園とライミル公園(第14公園)の間を進むバーテルズ・ロードへ。そしてブラバムストレートとも呼ばれるハイウェイA21号線に入り、ラウンドアバウトからウェイクフィールド・ロードへ戻るとヴィクトリア公園取り付け道路へ、緩やかなS字を抜け、最終ヘアピンカーブを立ち上がると一周である。

かつてF1ALMSを開催をしていたコースはグランプリコースと呼ばれ、ジョーンズブラバムというロングストレート2本を擁していた。グランプリコースは、バーテルズ・ロードに入らずライミル公園の縁を進むコースで、ジョーンズはランドル・ロード、ブラバムはA21号線に該当する。

市街地コースでありながら、オーバーテイクができると人気であったが、オーストラリアGPは1996年からはメルボルンアルバートパークサーキットに移っていった。 現在は、V8スーパーカーシリーズの1戦、アデレード500が行われている。

過去の特筆すべきレース

F1で使用されたレイアウト
  • 1986年には、ナイジェル・マンセルネルソン・ピケアラン・プロストの3人にチャンピオンの可能性が残されていたが、マンセルがタイヤバーストによりリタイアを喫し、プロストが逆転で2年連続のチャンピオンを獲得することとなった。
  • 1989年は豪雨の中で行われ、雨が得意なアイルトン・セナをはじめ多数がクラッシュしリタイアする中、ロータス中嶋悟がマシン性能が上回るリカルド・パトレーゼを追い回し、自身唯一となるファステストラップを記録し、自身の最上位タイとなる4位に入賞した。
  • 1990年ネルソン・ピケファイナルラップナイジェル・マンセルに追いつかれる。マンセルはバックストレートエンドでピケのオーバーテイクを試みるものの失敗。ピケは前戦の日本グランプリに続く勝利となる。また過去のライバル同士のバトルであったため、このバトルを至近で見ていた周回遅れのステファノ・モデナは2人のバトルについて『殺気を感じた』と語っている。
  • 1991年には豪雨によりレース序盤に赤旗が出され、結局14周走行時点でレース終了となった為、約24分という史上最短グランプリになった。
  • 1992年には、マクラーレンゲルハルト・ベルガーが優勝したが、このレース限りで第2期活動を休止することとなったホンダにとっては、第2期活動で最後の優勝となっている。
  • 1993年には、プロストがこのレースをもってF1から引退することとなったが、長きに渡って確執が続いたアイルトン・セナと「和解」の握手をするシーンが見られた。このことは、翌1994年にセナがサンマリノGPでの事故で他界したことから、非常に印象に残る出来事となった。
  • 1994年は、ミハエル・シューマッハデイモン・ヒルのチャンピオン争いとなったが、レース中盤に両者が接触し、リタイアとなった為、シューマッハが初のチャンピオンに輝いた。ちなみにこのレースで勝利したマンセルは、これが生涯最後のF1での勝利となった。
  • 1995年には、多くの有力ドライバーが次々とリタイアする中、ヒルが勝利を飾った。2位を2周遅れにする「圧勝」となったが、優勝者が2位以下を2周以上周回遅れにしたのはF1史上でも唯一のことであった。チームメイトのデビッド・クルサードはトップ快走中にピットロードでクラッシュし、ミカ・ハッキネンは予選で瀕死の大事故を起こした。

関連項目

座標: 南緯34度55分49.61秒 東経138度37分13.20秒 / 南緯34.9304472度 東経138.6203333度 / -34.9304472; 138.6203333

外部リンク

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