アントニオ・エアネス

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はアマーリョ、第二姓(父方の姓)はエアネスです。
アントニオ・エアネス
António Eanes

1983年9月15日

任期 1976年7月14日1986年3月9日
首相 ジュゼ・ピニェイル・ディ・アジヴェードゥ
ヴァスコ・アルメイダ・エ・コスタ(暫定)
マリオ・ソアレス
ノーブル・ダ・コシュタ
カルロス・アルベルト・ダ・モタ・ピント
マリーア・ディ・ルルディシュ・ピンタシルグ
フランシスコ・サ・カルネイロ
ディオゴ・フレイタス・アマラル(暫定)
フランシスコ・ピント・パルセマン
マリオ・ソアレス
カヴァコ・シルヴァ

出生 (1935-01-25) 1935年1月25日(89歳)
ポルトガルの旗 ポルトガル カステロ・ブランコ
政党 民主革新党
出身校 ポルトガル陸軍士官学校
配偶者 マヌエラ・ラマーリョ・エアネス
子女 2人
署名
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アメリカのジョージ・シュルツ国務長官

アントニオ・エアネス(ポルトガル語:António dos Santos Ramalho Eanes1935年1月25日 - )は、ポルトガル政治家、軍人。第16代大統領を務めた。

経歴

1935年1月25日リスボンに誕生した。植民地戦争で長く軍歴を積み、カーネーション革命が起こった時は、アンゴラ駐在だった。その後は革命を主導した国軍運動(英語版)(MFA)に参加し、ポルトガルへの帰国後はポルトガル国営放送の社長に就任した。

MFAでは穏健派に属しており、1975年11月25日にはMFA左派の急進派などが引き起こしたクーデター未遂事件(11月25日のクーデター(英語版))の鎮圧に当たった。1976年に大統領選挙に当選し、1981年2月までは国軍参謀総長(制服組のトップ)も兼任していた。

退任後、共和制移行100周年を迎えた2010年リスボン大学から名誉博士号の学位を得た。

外部リンク

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先代
フランシスコ・ダ・コスタ・ゴメス
ポルトガルの旗 ポルトガル大統領
第16代:1976年7月14日 – 1986年3月9日
次代
マリオ・ソアレス
ポルトガルの旗 ポルトガル共和国大統領 (1976年7月14日 – 1986年3月9日)
第一共和政
(1911–1926)
ディタドゥーラ・ミリタール
(1926-1928)
ディタドゥーラ・ナシオナル
(1928–1933)
エスタド・ノヴォ
(1933–1974)
救国軍事政権
(1974–1975)
  • アントニオ・デ・スピノラ1974-1974
  • フランシスコ・ダ・コスタ・ゴメス1974-1975
第三共和政
(1975– )
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