アントニオ・グテーレス

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はデ・オリヴェイラ、第二姓(父方の姓)はグテーレスです。
アントニオ・グテーレス
António Guterres
2023年
生年月日 (1949-04-30) 1949年4月30日(75歳)
出生地 ポルトガル リスボン
出身校 高等工科大学
所属政党 社会党
配偶者 ルイーザ・ギマリャンイス・エ・メロ(1972–1998)
カタリーナ・バス・ピント(2001– )
子女 1男1女
サイン
公式サイト António Guterres

国際連合の旗 国際連合
第9代 事務総長
在任期間 2017年1月1日 - 現職
副事務総長 アミナ・モハメド

在任期間 2005年6月15日 - 2015年12月31日
事務総長 コフィー・アナン
潘基文

ポルトガルの旗 ポルトガル共和国
第114代 首相
在任期間 1995年10月28日 - 2002年4月6日
大統領 マリオ・ソアレス
ジョルジェ・サンパイオ

在任期間 1999年11月10日 - 2005年6月15日

ポルトガルの旗 社会党
第6代 書記長
在任期間 1992年2月23日 - 2002年1月21日
大統領 マリオ・ソアレス
ジョルジェ・サンパイオ
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アントニオ・マヌエル・デ・オリヴェイラ・グテーレスポルトガル語: António Manuel de Oliveira Guterres [ɐ̃ˈtɔnju ɡuˈtɛʁɨʃ]1949年4月30日 - )は、ポルトガル政治家。第114代ポルトガル首相社会主義インターナショナル議長、欧州理事会議長、第10代国際連合難民高等弁務官を歴任した後、2017年から第9代国際連合事務総長を務める[1]。日本の報道では「グテーレス」をグテレスと表記するものもある[2]

来歴

教育者

ヴィルジーリョ・ディアス・グテーレスとイルダ・カンディーダ・デ・オリヴェイラの子として、リスボンで生まれた。高等工科大学 (IST)(英語版)物理学電気工学を学び、1971年に修了。助教として学問の世界に入った。

政治家

1974年に社会党に入党し、政治と関わりを持った。それから間もなく学界を退き、政治活動に専念するようになった。1974年4月25日のカーネーション革命マルセロ・カエターノ政権が崩壊してからは、主にリスボン地区で社会党の組織化に深く関与した。グテーレスは党の首脳の一人となり、次の役職を歴任した。

1992年に社会党の書記長と、アニーバル・カヴァコ・シルヴァ政権下の野党院内総務に就任。1992年9月には社会主義インターナショナルの副議長に任命された。

カヴァコ・シルヴァの退任を受けた1995年の総選挙で社会党が比較第一党になると、首相に就任して第1次内閣を組織した。政権では新自由主義経済の継続を敢行。1999年の総選挙もなんとか乗り切り第2次内閣を組織。在任中、ポルトガルに対する世界の注目度を高めた1998年のリスボン国際博覧会の誘致に尽力し、1999年に中華人民共和国へのマカオ返還も行った[3]

社会主義インターナショナル議長在任時

2000年1月から7月には欧州理事会議長も兼務した。しかし、首相としての二期目は苦しい時期となった。経済の低迷とヒンツェ・リベイロ橋崩落事故(英語版)の影響に加えて、党内対立がグテーレスの権威と人気を揺るがした。

2001年12月の地方選挙で、社会党は大敗を喫した。これを受けてグテーレスは「国を政治的な泥沼に陥れないため、職を辞す」と表明し、辞任した。ジョルジェ・サンパイオ大統領は国会を解散し、選挙を求めた。当時社会保障相だったエドゥアルド・フェーロ・ロドリゲス(英語版)が社会党の代表となったが、総選挙で社会党は敗れ、首相職を社会民主党のジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ(後の欧州委員会委員長)に明け渡した。グテーレスはポルトガルの政治から退き、2005年まで社会主義インターナショナルの議長を務めた。

国連難民高等弁務官

2005年5月の国連総会で、グテーレスは国連難民高等弁務官に選任された。2007年2月16日のナショナル・パブリック・ラジオによるインタビューでは、イラクの難民が直面している苦境について、1948年以降の中東で発生した最大の難民危機のひとつであると述べた。あまり一般に知られていない難民危機として、グテーレスは中央アフリカ共和国コンゴ民主共和国における危機を挙げた[4]。2011年にシリア内戦が発生すると、それによって生じた難民に対する国際的な支援を確保するために尽力した。弁務官時代には経費のかかるジュネーヴ本部の職員数を3分の2に削減し、その分現場により多くの人員を投入した[5]。2015年12月31日に難民高等弁務官を退任。

国連事務総長

こうしてグテーレスは国連を去ったものの、2016年は年末で潘基文の国連事務総長としての任期が満了することもあって、ポルトガル政府から支持を取り付けたグテーレスはやがて次期事務総長の最有力候補と目されるようになっていった[6][7][8]。2016年10月6日、国連安全保障理事会は次期国連事務総長としてグテーレスを国連総会に勧告する決議を採択[2]。この安保理の勧告を受け、総会は13日にグテーレスを次期事務総長に任命することを採決した。こうしてグテーレスは年明けの2017年1月1日に事務総長に就任した[9][10]。グテーレスは首相経験者としては初の事務総長であり[2]、また国連創設後に生まれた初の事務総長でもある。

グテーレスは就任後初の声明で「新年に皆さんも私と決意を共有していただきたい。平和を第一にすると心に決めよう」と呼び掛けた[11]

2021年6月8日に開催された国連安全保障理事会の非公開会合において、グテーレスを事務総長として推薦する決議案を全会一致で採択[12]。総会は18日にグテーレスの2期目の続投を採決した[13]

2021年6月、アムネスティ・インターナショナルの事務局長であるアニエス・カラマール(英語版)は、BBCの取材に、「中国政府による新疆でのウイグル人弾圧に対して、グテーレスは責任を果たしていない」と批判している[14]

2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナに侵攻では、開戦前日に開催された緊迫するウクライナ情勢をめぐる安全保障理事会において、グテーレスは涙ながらロシアのプーチン大統領に侵攻を止めるように訴えたが、10分後にロシアは侵攻を宣言した[15][16]。4月26日、ロシアとウクライナとの仲介のためモスクワを訪問し、プーチン大統領と会談[17]。国連は会談後、マリウポリアゾフスタリ製鉄所内にとどまる多数の市民の退避について、国連と赤十字国際委員会が関与することでプーチン大統領と原則合意したとする声明を発表した[18]。4月28日、虐殺が行われたウクライナのボロディアンカブチャ、イルピンを訪問し、キエフでゼレンスキー大統領、ドミトロ・クレーバ外相と会談した[19]。ウクライナの穀物輸出を再開させる黒海穀物イニシアティブの合意にも尽力した。なお、米国はグテーレスを諜報対象にしており、「ロシアに甘すぎる」とする報告書が流出した[20]

2023の年9月の国連総会では、国連改革の必要性を主張。「世界は変わったのに、われわれの組織は変わっていない」と述べた。また、同年夏の平均気温が観測史上最高だったことに触れ、「全ての指導者が暑さを実感したのか疑問だ」と気候変動対策の不十分さに不満を示した[21]

2023年10月から始まったパレスチナ・イスラエル戦争では、先に大規模攻撃を仕掛けたハマスを非難しつつ、ガザ地区を封鎖するとしたイスラエルに対して国際人道法違反であると指摘した。また、ハマスの攻撃について、「何もない状況で急に起こったわけではない」「パレスチナの人々は56年間、息のつまる占領下に置かれてきた。自分たちの土地を入植によって少しずつ失い、暴力に苦しんできた。経済は抑圧されてきた。人々は家を追われ、破壊されてきた。そうした苦境を政治的に解決することへの希望は消えつつある」と述べた[22][23]。イスラエルは猛反発し、同国国連大使は辞任を要求した。12月6日、グテーレスは正式に安全保障理事会に書簡を送付し、包囲されたガザの「人道的大惨事の回避」を求めた。これは国連憲章の第99条に基づくものであり、これは就任後初、歴史的にも1971年の第三次印パ戦争に関するもの以来52年ぶりの大事であった[24]。ただし、この決議は米国の拒否権行使により否決された(15か国中13か国賛成、1か国棄権、1か国反対)[25]

人物

1972年にルイーザ・アメーリア・ギマリャンイス・エ・メロと結婚。ペドロ・ギマリャンイス・エ・メロ・グテーレス(1977年生)とマリアナ・ギマリャンイス・エ・メロ・デ・オリヴェイラ・グテーレス(1985年生)の1男1女を儲けたものの、ルイーザは1998年1月28日に、ロンドンの王立自由病院で癌のため早世した。

2001年にはカタリナ・マルケス・デ・アルメイダ・ヴァス・ピントと再婚した。カタリナには前夫との間フランシスコ・ヴァス・ピント・ダ・コスタ・ラモスという連れ子がいる。

母語であるポルトガル語のほか、英語フランス語スペイン語に堪能。趣味は歴史と地理の研究で、特に世界史に精通している。またオペラを愛し、スポーツではサッカーを好む[5]

栄典・顕彰

勲章

  • 自由勲章大十字(ポルトガル、2016年2月2日)[26]
  • イザベラ・カトリック女王勲章頸飾(スペイン、2002年6月14日)[27]
  • キリスト勲章大十字(ポルトガル、2002年6月9日)[26]
  • 国家功労勲章大十字(フランス、2002年6月4日)[28]
  • 南十字星勲章大頸飾(ブラジル、2002年)[28]
  • 勲一等旭日大綬章(日本、2002年)[28]
  • 共和国勲章大綬章(チュニジア、2002年)[28]
  • ヤロスラフ賢公勲章1等(ウクライナ、2002年)[28]
  • イタリア共和国功労勲章大十字(イタリア、2001年12月3日)[29][28]
  • 功労勲章大十字(チリ、2001年9月30日)[28]
  • アミルカル・カブラル勲章1級(カーボベルデ、2001年4月27日)[28]
  • レオポルド勲章大綬章(ベルギー、2000年10月9日)[28]
  • カルロス3世勲章大十字(スペイン、2000年9月8日)[30]
  • 名誉勲章大十字(ギリシャ、2000年3月17日)[28]
  • アステカの鷲勲章特別懸章(メキシコ、1999年7月2日)[28]
  • ウルグアイ東方共和国勲章大将校(ウルグアイ、1998年12月10日)[28]
  • ポーランド共和国功労勲章大十字(ポーランド、1997年9月22日)[28]
  • 南十字星勲章大十字(ブラジル、1996年7月23日)[28]

名誉学位

脚注

  1. ^ 国連次期事務総長宣誓式 グテーレス氏 日テレNEWS
  2. ^ a b c 次期国連総長、グテレス氏に決定=初の首相経験者-安保理(時事通信、2016年10月7日)2016年10月7日閲覧。
  3. ^ Somini Sengupta (13 October 2016), António Guterres, Known for Nerve and Deal Making, Will Need Both at U.N. The New York Times
  4. ^ Interview with António Guterres, the United Nations high commissioner for refugees, 16 February 2007, Weekend Edition-Saturday, http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=7466089
  5. ^ a b 朝日新聞」2016年10月7日朝刊
  6. ^ The Associated Press. “Portugal to Nominate Antonio Guterres as UN Chief”. The New York Times. ISSN 0362-4331. http://www.nytimes.com/aponline/2016/01/22/world/europe/ap-eu-portugal-un.html 2016年1月24日閲覧。 
  7. ^ Portugal, Grand Union. “Portugal Presents The Candidature of António Guterres to un Secretary-general”. www.portugal.gov.pt. 2016年2月1日閲覧。
  8. ^ “NEXT UN SECRETARY GENERAL : WORLD POLITICS”. Bet Breaking News. 2016年2月8日閲覧。
  9. ^ 国連事務総長にグテーレス氏が就任Qnewニュース 2017年1月1日
  10. ^ "国連事務総長 ポルトガル元首相のグテレス氏、声明を発表". 毎日新聞デジタル. 毎日新聞社. 1 January 2017. 2021年3月25日閲覧
  11. ^ “「平和を第一にしよう」 国連新事務総長にグテレス氏就任”. 東京新聞. (2017年1月3日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201701/CK2017010302000105.html 2017年1月3日閲覧。 
  12. ^ “グテーレス国連事務総長、続投へ 2026年末まで”. 朝日新聞. (2021年6月9日). https://www.asahi.com/articles/ASP6901NNP68UHBI02M.html 2021年6月9日閲覧。 
  13. ^ “グテレス事務総長の続投、全会一致で決定 国連総会”. 毎日新聞. (2021年6月18日). https://mainichi.jp/articles/20210618/k00/00m/030/428000c.amp 2021年6月19日閲覧。 
  14. ^ ジョール・ガンター (2021年6月11日). “中国のウイグル族弾圧は「地獄のような光景」=アムネスティ報告書”. BBC. https://www.bbc.com/japanese/57437638 2021年12月25日閲覧。 
  15. ^ “ロシアが「全面侵攻」開始 ウクライナ外相”. AFP通信 (2022年2月24日). 2022年4月15日閲覧。
  16. ^ “「攻撃やめて」国連事務総長が訴えた10分後、プーチン氏が侵攻宣言”. 毎日新聞. 2022年2月26日閲覧。
  17. ^ “国連事務総長とプーチン大統領が会談 避難で合意も情勢不透明”. NHK (2022年4月27日). 2022年4月27日閲覧。
  18. ^ “マリウポリ退避に国連関与 ロシア大統領、事務総長と合意”. 共同通信. (2022年4月27日). https://web.archive.org/web/20220426220007/https://nordot.app/891782313485549568?c=39546741839462401 2022年5月6日閲覧。 
  19. ^ 藤原学思、佐藤達弥 (2022年4月29日). “「戦争は不条理で悪だ」 国連事務総長、ゼレンスキー大統領と会談”. 朝日新聞. 2022年4月29日閲覧。
  20. ^ “国連総長は「ロシアに甘すぎる」 米国の見方とされる記述、流出文書に”. BBCニュース. (2023年4月13日). https://www.bbc.com/japanese/65249969 2023年12月13日閲覧。 
  21. ^ “グテレス氏、国連改革要求 「世界は変わった」と演説(共同通信)”. Yahoo!ニュース. 2024年4月28日閲覧。
  22. ^ “国連総長、ガザの状況は「国際人道法違反」 イスラエルは強く反発”. BBCニュース. (2023年10月25日). https://www.bbc.com/japanese/67213313 2023年12月13日閲覧。 
  23. ^ “国連総長、ガザでの「明白な法律違反」を非難 イスラエルは怒り心頭”. Arab News. 2023年12月13日閲覧。
  24. ^ “国連事務総長、ガザ停戦で安保理に行動要請-憲章99条を50年ぶり発動”. Bloomberg.com (2023年12月7日). 2023年12月13日閲覧。
  25. ^ “安保理 ガザ地区の停戦決議 アメリカ拒否権で否決”. NHKニュース (2023年12月9日). 2023年12月13日閲覧。
  26. ^ a b “Cidadãos Nacionais Agraciados com Ordens Portuguesas”. Página Oficial das Ordens Honoríficas Portuguesas. 2016年7月13日閲覧。
  27. ^ Boletín Oficial del Estado
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m n “Cidadãos Nacionais Agraciados com Ordens Estrangeiras”. Página Oficial das Ordens Honoríficas Portuguesas. 2016年7月13日閲覧。
  29. ^ Quirinale website
  30. ^ Boletin Oficial del Estado
  31. ^ 国連難民高等弁務官(元ポルトガル首相)アントニオ・グテーレス氏に名誉博士学位を贈呈 明治大学

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、アントニオ・グテーレスに関連するカテゴリがあります。
党職
先代
  ジョルジェ・サンパイオ  
社会党書記長
1992年 - 2002年
次代
エドゥアルド・フェロ・ロドリゲス
先代
ピエール・モーロワ
社会主義インターナショナル議長
1999年 - 2005年
次代
ヨルゴス・パパンドレウ
外交職
先代
ウェンディー・チェンバリン(英語版)
(代行)
国連難民高等弁務官
2005年 - 2015年
次代
フィリッポ・グランディ(英語版)
先代
潘基文 (大韓民国の旗)
国際連合の旗 国際連合事務総長
第9代:2017年 -
次代
(現職)
国際連盟
(1919年 - 1945年)
国際連合
(1945年 - )
  • * - 事務総長代行
ポルトガル王国 ポルトガルの首相(1995年 - 2002年) ポルトガルの旗
王政期

ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1834.9.24-1835.5.4 / ヴィトリオ・デ・ソウサ・コーティーニョ1835.5.4-5.27 / ジョアン・デ・サルダーニャ1835.5.27-11.18 / ジョゼ・ジョルジェ・ロウレイロ1835.11.18-1836.4.20 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1836.4.20-9.10 / ジョゼ・ダ・ガマ・カルネイロ・エ・ソウザ1836.9.10-11.4 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1836.11.5-1837.6.1 / アントニオ・ディアス・デ・オリヴェイラ1837.6.2-8.10 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1837.8.10-1839.4.18 / ロドリゴ・ピント・ピサロ1839.4.18-11.26 / ジョゼ・トラヴァッソス・バルデス1839.11.26-1841.6.9 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1841.6.9-1842.2.7 / ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1842.2.7-2.8 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1842.2.9-1846.5.20 / ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1846.5.20-10.6 / ジョアン・デ・サルダーニャ1846.10.6-1847.4.28 / ジョアン・デ・サルダーニャ1847.12.18-1849.6.18 / アントニオ・ベルナルド・ダ・コスタ・カブラル1849.6.18-1851.4.26 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1851.4.26-5.1 / ジョアン・デ・サルダーニャ1851.5.1-1856.6.6 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1856.6.6-1859.3.16 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1859.3.16-1860.4.26 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1860.5.1-7.4 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1860.7.4-1865.4.17 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1865.4.17-9.4 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1865.9.4-1868.1.4 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1868.1.4-7.22 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1868.7.22-1869.8.11 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1869.8.11-1870.5.19 / ジョアン・デ・サルダーニャ1870.5.19-8.29 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1870.8.29-10.29 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1870.10.29-1871.9.13 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1871.9.13-1877.3.5 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1877.3.5-1878.1.29 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1878.1.29-1879.6.1 / アンセルモ・ジョゼ・ブラームカンプ1879.6.1-1881.3.25 / アントニオ・ロドリゲス・サンパイオ1881.3.25-11.14 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1881.11.14-1886.2.20 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1886.2.20-1890.1.14 / アントニオ・デ・セルパ・ピメンテル1890.1.14-10.14 / ジョアン・クリゾストモ1890.10.14-1892.1.17 / ジョゼ・ディアス・フェレイラ1892.1.17-1893.2.23 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1893.2.23-1897.2.7 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1897.2.7-1900.6.26 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1900.6.26-1904.10.20 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1904.10.20-1906.3.19 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1906.3.19-5.19 / ジョアン・フランコ1906.5.19-1908.2.4 / フランシスコ・ジョアキム・フェレイラ・ド・アマラル1908.2.4-12.26 / アルトゥル・アルベルト・デ・カンポス・エンリケス1908.12.26-1909.4.11 / セバスチオン・クストディオ・デ・ソウザ・テレス1909.4.11-5.14 / ヴェンセスラウ・デ・ソウザ・ペレイラ・デ・リマ1909.5.14-12.22 / フランシスコ・アントニオ・ダ・ヴェイガ・ベイラオ1909.12.22-1910.6.26 / アントニオ・テイシェイラ・デ・ソウザ1910.6.26-10.5

第一共和政

テオフィロ・ブラガ1910.10.5-1911.9.3 / ジョアン・シャガス1911.9.4-11.12 / アウグスト・デ・ヴァスコンセロス1911.11.12-1912.6.16 / ドゥアルテ・レイテ1912.6.16-1913.1.9 / アフォンソ・コスタ1913.1.9-1914.2.9 / ベルナルディノ・マシャド1914.2.9-12.12 / ヴィクトル・ウーゴ・デ・アセヴェド・コーティーニョ1914.12.12-1915.1.25 / ジョアキム・ピメンタ・デ・カストロ1915.1.25-5.14 / ジョゼ・デ・カストロ1915.5.17-11.29 / アフォンソ・コスタ1915.11.29-1916.3.15 / アントニオ・ジョゼ・デ・アルメイダ1916.3.15-1917.4.25 / アフォンソ・コスタ1917.4.25-12.8 / シドニオ・パイス1917.12.11-1918.12.14 / ジョアン・ド・カント・エ・カストロ1918.12.14-12.23 / ジョアン・タマグニニ・バルボサ1918.12.23-1919.1.27 / ジョゼ・レルヴァス1919.1.27-3.30 / ドミンゴス・ペレイラ1919.3.30-6.29 / アルフレド・デ・サ・カルドソ1919.6.29-1920.1.21 / ドミンゴス・ペレイラ1920.1.21-3.8 / アントニオ・マリア・バプティスタ1920.3.8-6.6 / ジョゼ・ラモス・プレト1920.6.6-6.26 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1920.6.26-7.19 / アントニオ・グランジョ1920.7.19-11.20 / アルヴァロ・デ・カストロ1920.11.20-11.30 / リベラト・ピント1920.11.30-1921.3.2 / ベルナルディノ・マシャド1921.3.2-5.23 / トメ・デ・バロス・ケイロス1921.5.23-8.30 / アントニオ・グランジョ1921.8.30-10.19 / マヌエル・マリア・コエーリョ1921.10.19-11.5 / カルルシュ・マイア・ピント1921.11.5-12.16 / フランシスコ・クーニャ・レアル1921.12.16-1922.2.6 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1922.2.6-1923.11.15 / アントニオ・ジネスタル・マシャド1923.11.15-12.18 / アルヴァロ・デ・カストロ1923.12.18-1924.7.6 / アルフレド・ロドリゲス・ガスパール1924.7.6-11.22 / ジョゼ・ドミンゲス・ドス・サントス1924.11.22-1925.2.15 / ヴィトリノ・ギマランエス1925.2.15-7.1 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1925.7.1-8.1 / ドミンゴス・レイテ・ペレイラ1925.8.1-1926.12.17 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1925.12.17-1926.5.30

ディタドゥーラ・ナシオナル

ジョゼ・メンデス・カベサダス1926.5.30-6.17 / マヌエル・ゴメス・ダ・コスタ1926.6.17-7.9 / アントニオ・オスカル・カルモナ1926.7.9-1928.4.18 / ジョゼ・フレイタス1928.4.18-1929.7.8 / アルトゥル・イヴェンス・フェラーズ1929.7.8-1930.1.21 / ドミンゴス・オリヴェイラ1930.1.21-1932.7.5

エスタド・ノヴォ

アントニオ・サラザール1932.7.5-1968.9.27 / マルセロ・カエターノ1968.9.27-1974.4.25

第三共和政

アデリーヌ・ダ・パルマ・カルルシュ1974.5.16-1974.7.18 / ヴァスコ・ゴンサルヴィシュ1974.7.18-1975.9.19 / ジュゼ・ピニェイル・ディ・アジヴェードゥ1975.9.19-1976.7.23 / マリオ・ソアレス1976.7.23-1978.8.29 / ノブリ・ダ・コシュタ1978.8.29-1978.11.22 / モタ・ピント1978.11.22-1979.7.7 / マリア・デ・ルルデス・ピンタシルゴ1979.7.7-1980.1.3 / フランシシュク・サ・カルネイル1980.1.3-1980.12.4 / ピント・パルセマン1981.1.9-1983.6.9 / マリオ・ソアレス1983.6.9-1985.11.6 / カヴァコ・シルヴァ1985.11.6-1995.10.28 / アントニオ・グテーレス1995.10.28-2002.4.6 / ドゥラン・バローゾ2002.4.6-2004.7.17 / サンタナ・ロペス2004.7.17-2005.3.12 / ジョゼ・ソクラテス2005.3.12-2011.6.21 / ペドロ・パッソス・コエーリョ2011.6.21-2015.11.26 / アントニオ・コスタ2015.11.26-2024.4.2 / ルイス・モンテネグロ2024.4.2-現在

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