ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はドゥラン、第二姓(父方の姓)はバローゾです。
ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ
José Manuel Durão Barroso


任期 2004年11月23日2014年11月1日
欧州理事会議長 ヤン・ペーター・バルケネンデ
ジャン=クロード・ユンケル
トニー・ブレア
ヴォルフガング・シュッセル
マッティ・ヴァンハネン
アンゲラ・メルケル
ジョゼ・ソクラテス
ヤネス・ヤンシャ
ニコラ・サルコジ
ミレク・トポラーネク
ヤン・フィシェル
フレドリック・ラインフェルト
ヘルマン・ファン・ロンパイ
内閣 バローゾ委員会

任期 2002年4月6日2004年6月29日
大統領 ジョルジェ・サンパイオ

出生 (1956-03-23) 1956年3月23日(68歳)
ポルトガル リスボン
政党 欧州人民党
社会民主党
出身校 リスボン大学
ジュネーブ大学
ジョージタウン大学
配偶者 マルガリーダ・ソーザ・ウヴァ
子女 ルイス
ギリェルメ
フランシスコ
署名

ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾJosé Manuel Durão BarrosoIPA, [ʒu'zɛ mɐnu'ɛɫ du'ɾɐ̃ũ bɐ'ʁozu], 1956年3月23日 - )は、ポルトガル政治家。2002年4月6日から2004年6月29日まではポルトガル首相、2004年11月22日から2014年11月1日までは欧州委員会委員長を務めた。

家族は妻のマルガリーダとの間に3人の息子であるルイス、ギリェルメ、フランシスコをもうけている。

学歴

バローゾはポルトガルの首都リスボンで生まれた。成長した彼はリスボン大学法学を専攻し、スイスジュネーヴ大学では経済、社会科学を学んでいる。その後母校のリスボン大学、アメリカ合衆国ジョージタウン大学などで教鞭をとり、同時に博士号を取得した。1998年にはジョージタウン大学でリーダーシップ・セミナーを受講している。リスボンに戻った彼はリスボン大学国際関係学部の学部長に就任した。母国語のポルトガル語のほかに英語・フランス語・スペイン語などを操る。

政治家として

ポルトガル

バローゾは学生時から政治活動に関わるようになった。1974年のカーネーション革命前後においては、毛沢東主義を奉じるPCTP-MRPP(ポルトガル労働者党ーポルトガル・プロレタリアート革命運動、ポルトガル労働者共産党)のリーダーの一人として活動した。その後思想転向を経て1980年12月に中道右派政党である社会民主党 (PSD) に入党し、現在に至っている。

1985年にバローゾはアニーバル・カヴァコ・シルヴァ (Aníbal Cavaco Silva) 政権において外務大臣補佐に任命された。1987年には外務副大臣に任命され、その後5年間職を務めた。1990年のアンゴラ包括和平協定(ビセス合意)においては強い指導力を発揮し、アンゴラ内戦における支配政党であるアンゴラ解放人民運動アンゴラ全面独立民族同盟ゲリラとの戦闘終結に貢献した。また、ポルトガル植民地であった東ティモールの独立にも関与している。1992年に外務大臣に昇格し、1995年に総選挙で与党が敗北するまで職を務めた。

1999年には社会民主党の党首に選出され、ポルトガル議会における最大野党の党首として活動した。2002年の総選挙で辛勝した社会民主党は右派政党人民党との連立を選択し、バローゾは4月6日に首相に任命された。外交政策では親アメリカ路線を採り、2003年のイラク戦争においては、世論に反してアメリカ支持を表明し、いわゆる「有志連合」の一員としてポルトガル軍をイラクに派兵した。2004年にバローゾは首相辞任を表明した。その理由として、支持率の低下と欧州連合での政治活動参加が挙げられている。

欧州連合

イギリススコットランドのバースシャーでの第31回主要国首脳会議グレンイーグルズサミット)に欧州委員会委員長として参加(2005年

2004年6月に欧州理事会は全会一致でバローゾを欧州委員会委員長に指名した。欧州議会における承認投票においては413票中251が賛成し、44が白票、3票が無効票であった。これを受けてバローゾは欧州理事会と共同で欧州委員会のほかの委員を指名したが、10月末に欧州議会はこの人事に反対する。このためバローゾ新委員会は当初予定していた11月1日からの発足が不可能となった。これを受けてバローゾは11月4日に修正した人事案を発表した。11月18日に欧州議会はこの修正案を承認し(賛成449票・反対149票・82人が棄権)、バローゾは22日に新体制を発足させた。

バローゾの課題はヨーロッパ諸国において低下している欧州連合の威信の回復である。小規模加盟国の利益を重視するとみられており、欧州連合の予算も削減しないと表明している。その他に彼が取り組んでいる問題としては、単一市場導入・リスボン会議・ガリレオ測量システム・ドーハラウンドにおける農業支援政策の是非などである。また、銀行同盟・財政同盟・欧州連邦の実現など野心的な構想も掲げた。

2009年6月の欧州議会議員選挙の結果、バローゾが所属する欧州人民党を中心とするグループが引き続き第1会派となった。これを受けて当時の議長国であったチェコはバローゾに再任を打診し、また同月18日から19日に開かれた欧州理事会でバローゾの再任が全会一致で採択された[1]。欧州理事会がバローゾを次期委員長に指名したことを受けて、同年9月16日にストラスブールで開かれた欧州議会の本会議でバローゾの再任を承認するかどうかについての採決が行なわれ、賛成382票・反対219票・棄権117票でバローゾは2014年10月31日までの2期目に入ることとなり[2]、2014年11月1日に退任した。

その他

2016年7月8日、バローゾがゴールドマン・サックスのnon-executive chairmanに就任することが発表された[3]

出典

  1. ^ “Brussels European Council 18/19 June 2009, Presidency Conclusion” (PDF) (英語). Council of the European Union (2009年6月19日). 2009年9月16日閲覧。
  2. ^ “MEPs approve Barroso as Commission President” (英語). European Parliament (2009年9月16日). 2009年9月16日閲覧。
  3. ^ Goldman Sachs hires former EU president Barroso after Brexit vote P. Spence, The Daily Telegraph, 8 Jul 2016

外部リンク

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  • Official website
公職
先代
ロマーノ・プローディ
欧州連合の旗欧州委員会委員長
第11代:
2004 - 2014
次代
ジャン=クロード・ユンケル
ポルトガル王国 ポルトガルの首相(2002-2004) ポルトガルの旗
王政期

ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1834.9.24-1835.5.4 / ヴィトリオ・デ・ソウサ・コーティーニョ1835.5.4-5.27 / ジョアン・デ・サルダーニャ1835.5.27-11.18 / ジョゼ・ジョルジェ・ロウレイロ1835.11.18-1836.4.20 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1836.4.20-9.10 / ジョゼ・ダ・ガマ・カルネイロ・エ・ソウザ1836.9.10-11.4 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1836.11.5-1837.6.1 / アントニオ・ディアス・デ・オリヴェイラ1837.6.2-8.10 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1837.8.10-1839.4.18 / ロドリゴ・ピント・ピサロ1839.4.18-11.26 / ジョゼ・トラヴァッソス・バルデス1839.11.26-1841.6.9 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1841.6.9-1842.2.7 / ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1842.2.7-2.8 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1842.2.9-1846.5.20 / ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン1846.5.20-10.6 / ジョアン・デ・サルダーニャ1846.10.6-1847.4.28 / ジョアン・デ・サルダーニャ1847.12.18-1849.6.18 / アントニオ・ベルナルド・ダ・コスタ・カブラル1849.6.18-1851.4.26 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1851.4.26-5.1 / ジョアン・デ・サルダーニャ1851.5.1-1856.6.6 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1856.6.6-1859.3.16 / アントニオ・セヴェリム・デ・ノローニャ1859.3.16-1860.4.26 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1860.5.1-7.4 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1860.7.4-1865.4.17 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1865.4.17-9.4 / ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル1865.9.4-1868.1.4 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1868.1.4-7.22 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1868.7.22-1869.8.11 / ヌノ・ジョゼ・デ・モウラ1869.8.11-1870.5.19 / ジョアン・デ・サルダーニャ1870.5.19-8.29 / ベルナルド・デ・サ・ノゲイラ・デ・フィゲイレド1870.8.29-10.29 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1870.10.29-1871.9.13 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1871.9.13-1877.3.5 / アントニオ・ジョゼ・デ・アヴィラ1877.3.5-1878.1.29 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1878.1.29-1879.6.1 / アンセルモ・ジョゼ・ブラームカンプ1879.6.1-1881.3.25 / アントニオ・ロドリゲス・サンパイオ1881.3.25-11.14 / フォンテス・ペレイラ・デ・メロ1881.11.14-1886.2.20 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1886.2.20-1890.1.14 / アントニオ・デ・セルパ・ピメンテル1890.1.14-10.14 / ジョアン・クリゾストモ1890.10.14-1892.1.17 / ジョゼ・ディアス・フェレイラ1892.1.17-1893.2.23 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1893.2.23-1897.2.7 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1897.2.7-1900.6.26 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1900.6.26-1904.10.20 / ジョゼ・ルシアーノ・デ・カストロ1904.10.20-1906.3.19 / エルネスト・ヒンツェ・リベイロ1906.3.19-5.19 / ジョアン・フランコ1906.5.19-1908.2.4 / フランシスコ・ジョアキム・フェレイラ・ド・アマラル1908.2.4-12.26 / アルトゥル・アルベルト・デ・カンポス・エンリケス1908.12.26-1909.4.11 / セバスチオン・クストディオ・デ・ソウザ・テレス1909.4.11-5.14 / ヴェンセスラウ・デ・ソウザ・ペレイラ・デ・リマ1909.5.14-12.22 / フランシスコ・アントニオ・ダ・ヴェイガ・ベイラオ1909.12.22-1910.6.26 / アントニオ・テイシェイラ・デ・ソウザ1910.6.26-10.5

第一共和政

テオフィロ・ブラガ1910.10.5-1911.9.3 / ジョアン・シャガス1911.9.4-11.12 / アウグスト・デ・ヴァスコンセロス1911.11.12-1912.6.16 / ドゥアルテ・レイテ1912.6.16-1913.1.9 / アフォンソ・コスタ1913.1.9-1914.2.9 / ベルナルディノ・マシャド1914.2.9-12.12 / ヴィクトル・ウーゴ・デ・アセヴェド・コーティーニョ1914.12.12-1915.1.25 / ジョアキム・ピメンタ・デ・カストロ1915.1.25-5.14 / ジョゼ・デ・カストロ1915.5.17-11.29 / アフォンソ・コスタ1915.11.29-1916.3.15 / アントニオ・ジョゼ・デ・アルメイダ1916.3.15-1917.4.25 / アフォンソ・コスタ1917.4.25-12.8 / シドニオ・パイス1917.12.11-1918.12.14 / ジョアン・ド・カント・エ・カストロ1918.12.14-12.23 / ジョアン・タマグニニ・バルボサ1918.12.23-1919.1.27 / ジョゼ・レルヴァス1919.1.27-3.30 / ドミンゴス・ペレイラ1919.3.30-6.29 / アルフレド・デ・サ・カルドソ1919.6.29-1920.1.21 / ドミンゴス・ペレイラ1920.1.21-3.8 / アントニオ・マリア・バプティスタ1920.3.8-6.6 / ジョゼ・ラモス・プレト1920.6.6-6.26 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1920.6.26-7.19 / アントニオ・グランジョ1920.7.19-11.20 / アルヴァロ・デ・カストロ1920.11.20-11.30 / リベラト・ピント1920.11.30-1921.3.2 / ベルナルディノ・マシャド1921.3.2-5.23 / トメ・デ・バロス・ケイロス1921.5.23-8.30 / アントニオ・グランジョ1921.8.30-10.19 / マヌエル・マリア・コエーリョ1921.10.19-11.5 / カルルシュ・マイア・ピント1921.11.5-12.16 / フランシスコ・クーニャ・レアル1921.12.16-1922.2.6 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1922.2.6-1923.11.15 / アントニオ・ジネスタル・マシャド1923.11.15-12.18 / アルヴァロ・デ・カストロ1923.12.18-1924.7.6 / アルフレド・ロドリゲス・ガスパール1924.7.6-11.22 / ジョゼ・ドミンゲス・ドス・サントス1924.11.22-1925.2.15 / ヴィトリノ・ギマランエス1925.2.15-7.1 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1925.7.1-8.1 / ドミンゴス・レイテ・ペレイラ1925.8.1-1926.12.17 / アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ1925.12.17-1926.5.30

ディタドゥーラ・ナシオナル

ジョゼ・メンデス・カベサダス1926.5.30-6.17 / マヌエル・ゴメス・ダ・コスタ1926.6.17-7.9 / アントニオ・オスカル・カルモナ1926.7.9-1928.4.18 / ジョゼ・フレイタス1928.4.18-1929.7.8 / アルトゥル・イヴェンス・フェラーズ1929.7.8-1930.1.21 / ドミンゴス・オリヴェイラ1930.1.21-1932.7.5

エスタド・ノヴォ

アントニオ・サラザール1932.7.5-1968.9.27 / マルセロ・カエターノ1968.9.27-1974.4.25

第三共和政

アデリーヌ・ダ・パルマ・カルルシュ1974.5.16-1974.7.18 / ヴァスコ・ゴンサルヴィシュ1974.7.18-1975.9.19 / ジュゼ・ピニェイル・ディ・アジヴェードゥ1975.9.19-1976.7.23 / マリオ・ソアレス1976.7.23-1978.8.29 / ノブリ・ダ・コシュタ1978.8.29-1978.11.22 / モタ・ピント1978.11.22-1979.7.7 / マリア・デ・ルルデス・ピンタシルゴ1979.7.7-1980.1.3 / フランシシュク・サ・カルネイル1980.1.3-1980.12.4 / ピント・パルセマン1981.1.9-1983.6.9 / マリオ・ソアレス1983.6.9-1985.11.6 / カヴァコ・シルヴァ1985.11.6-1995.10.28 / アントニオ・グテーレス1995.10.28-2002.4.6 / ドゥラン・バローゾ2002.4.6-2004.7.17 / サンタナ・ロペス2004.7.17-2005.3.12 / ジョゼ・ソクラテス2005.3.12-2011.6.21 / ペドロ・パッソス・コエーリョ2011.6.21-2015.11.26 / アントニオ・コスタ2015.11.26-2024.4.2 / ルイス・モンテネグロ2024.4.2-現在

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