ウクライナの国歌
Ще не вмерла Україна | |
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和訳例:ウクライナは滅びず | |
ウクライナ国歌の楽譜 | |
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作詞 | P.チュブィーンシクィイ(1862年) |
作曲 | M.ヴェルブィーツィクィイ(1863年) |
採用時期 | 1992年1月15日 (音楽) 2003年3月6日(歌詞) |
試聴 | |
ウクライナの国歌(演奏バージョン) | |
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ウクライナの国歌(ウクライナのこっか、宇: Державний Гімн України)は、ウクライナの国家象徴の一つ。国歌の名は『ウクライナは滅びず』(ウクライナはほろびず、宇: Ще не вмерла Україна)である。
概要
1862年にパヴロ・チュビンスキー(英語版) (Павло Платонович Чубинський) が作詞、1863年にミハイロ・ヴェルビツキー(英語版) (Михайло Вербицький) が作曲した。しかしながら当時ウクライナの文化運動に対するロシア帝国の弾圧は強まっており(1863年にヴァルーエフ指令が出されている)、チュビンスキーは「民衆の精神に有害な影響を与えた」とされてアルハンゲリスクに追放された[1]。
ロシア革命が起こった1917年に独立を宣言したウクライナの民族主義者によってウクライナ人民共和国および西ウクライナ人民共和国の国歌に採用され[2]、1920年にソビエト連邦に併合されるまで使用された。また、1938年にチェコスロバキアから独立した国家、カルパト・ウクライナでも短期間ながら国歌として採用された。
ソ連を構成するウクライナ・ソビエト社会主義共和国ではこの曲がもつ「分離主義的」ニュアンスが忌避され、別の曲が国歌として採用された(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国歌を参照)[2]。
ソ連から独立後、1992年に議会によりウクライナの国歌として復活した。2003年3月6日には最高議会でウクライナ国歌法案が成立。歌詞を一部修正の上、正式に国歌に採用された[2]。
歌詞
2003年3月6日制定の現行の国歌歌詞(最後の2行は繰り返して歌う)
ウクライナ語 | ラテン文字化 | 日本語訳 |
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Ще не вмерла України і слава, і воля, | Šče ne vmerla Ukrajiny, i slava, i voľa, |
原曲の歌詞
ウクライナ語 | ラテン文字化 | 英訳 |
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Ще не вмерла Украіна, | Šče ne vmerla Ukrajina, | Never perished is Ukraine's |
2003年の改定前のもの
ウクライナ語 | ラテン文字化 | 日本語訳 |
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Ще не вмерла України ні слава, ні воля. | Šče ne vmerla Ukrajiny, ni slava, ni voľa, | ウクライナは滅びず,その栄光も,その自由さえも! |
脚注
参考文献
- (日本語) 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12. (新版世界各国史 ; 20)
関連項目
- ウクライナの国章
- ウクライナの国旗
- ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国歌
- ウクライナへの祈り - 準国歌
- 愛国者の行進(英語版) - 一時期国歌として歌われていた。
外部リンク
- (ウクライナ語) ウクライナ国歌に関する法律(2003年度)// ウクライナ最高議会公式サイト
- ウクライナ国歌
- ウクライナ国歌
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関連項目 |
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国連による世界地理区分。バチカンは国際連合非加盟。「その他」は国家の承認を得る国が少ない、または無い国であり、国際連合非加盟。国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧も参照。 • 1 ウラル山脈以東はアジアに分類されることもある。 • 2 島嶼部はアジアにも分類され得る。また、トルコもヨーロッパに分類され得る。 |