エッサ・デ・ケイロス

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はデ・エッサ、第二姓(父方の姓)はデ・ケイロスです。
ジョゼ・マリア・デ・エッサ・デ・ケイロス
José Maria de Eça de Queiroz
誕生 1845年11月25日
ポルトガル王国の旗 ポルトガル王国ポヴォア・デ・ヴァルジン(英語版)
死没 (1900-08-16) 1900年8月16日(54歳没)
フランスの旗 フランス共和国
職業 小説家弁護士ジャーナリスト外交官
国籍 ポルトガル王国の旗 ポルトガル王国
文学活動 写実主義
代表作 『アマーロ神父の罪』、『逝く夏』、『大官を殺せ』、『縛り首の丘』
デビュー作 『ある金髪女の奇行』
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エッサ・デ・ケイロス(José Maria de Eça de Queiroz(Queirós), 1845年11月25日 - 1900年8月16日)は、ポルトガル小説家弁護士ジャーナリスト外交官

経歴

1845年にポルトガル北部のポヴォア・デ・ヴァルジン(英語版)に判事の子として生まれる。庶子だったため9歳まで祖父母に育てられ、祖父母が死別した後ポルトのラバ学園に入学した。16歳でコインブラ大学の法学部に入学し、在学中は演劇に熱中した。大学を卒業後、リスボンで弁護士として活動した。1869年のスエズ運河開通と同時に東洋を旅し、ジャーナリスト、作家として旅行記、短編小説を発表。1870年に父親の計らいにおいてレイリーア郡知事に任命、1872年にはスペイン領キューバのハバナ領事に赴任し、その後ニューカッスルブリストルの領事を歴任した。結婚してからの1888年以後は、パリ領事としてパリに滞在し、『縛り首の丘』などの小説を執筆。健康を損ない、1900年に54歳で死去した。

日本語訳のある作品

  • 『縛り首の丘』彌永史郎訳 白水社白水Uブックス、1996年3月。
  • 『アマーロ神父の罪』浜崎いとこ訳 彩流社、2004年4月。
  • 『逝く夏』小川尚克訳 彩流社、2008年1月。
  • 『都市と田舎』小川尚克訳 彩流社、2014年8月。

作品

  • 縛り首の丘
  • アマーロ神父の罪
  • ある金髪女の奇行
  • マイア家の人々 (Os Maias)
  • 大官を殺せ
  • 逝く夏 (O primo Basi'lio.)
  • 従兄バジリオ

脚注

参考文献

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