キオンガ・トライアングル

モザンビークから見たキオンガ・トライアングル(Kionga-Dreieck)の位置

キオンガ・トライアングルドイツ語: Kionga-Dreieckポルトガル語: Triângulo de Quionga)とは、ルブマ川(英語版)の河口に位置するドイツ領東アフリカ領であった小さな地域である。

概要

ルブマ川はドイツ植民地とポルトガル領モザンビークとの国境として機能し、キオンガ・トライアングルはルブマ川以南のドイツ領東アフリカであった唯一の地域だった。主要な入植地はキオンガで、1910年の時点での人口は4,000人であった。この地域は1894年にドイツの領土となったが、第一次世界大戦中の1916年4月にポルトガル占領下となった[1][2]。戦後のヴェルサイユ条約では、ルブマ川がイギリス統治下にあったタンガニーカ委任統治領(英語版)とポルトガル領モザンビークの国境であることが再確認され、この三角地帯は条約によってポルトガルに与えられた唯一の領土であった[3][4]

現在、かつてのキオンガ・トライアングルはモザンビークカボ・デルガード州の一部となっている。

関連項目

脚注

  1. ^ Hew Strachan (2004). The First World War in Africa. Oxford University Press. p. 161. ISBN 9780199257287. オリジナルの4 August 2020時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200804012257/https://books.google.com/books?id=Z311FAuwbx8C&pg=PA161 2017年9月21日閲覧。 
  2. ^ M. D. D. Newitt; Professor Malyn Newitt (1995). A History of Mozambique. Indiana University Press. p. 416. ISBN 0-253-34006-3. オリジナルの15 April 2021時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210415075950/https://books.google.com/books?id=vLzp_zs1t6cC&pg=PA416 2021年4月15日閲覧。 
  3. ^ Encyclopedia Britannica. Encyclopedia Britannica, Incorporated. (1970). p. 863. オリジナルの15 April 2021時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210415085524/https://books.google.com/books?id=0QtXAAAAMAAJ 2021年4月15日閲覧。 
  4. ^ Fritz Zadow (1941). Koloniale Revision. W. Conrad & Company. p. 176. オリジナルの2021-12-25時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211225230804/https://books.google.com/books?id=FIUASRnmdHcC 2022年4月4日閲覧。 

参考文献

  • Thomas, H. B., "The Kionga Triangle", Tanganyika Notes and Records Volume 31 1951, pages 47–50.
植民地
アフリカ

ドイツ領東アフリカ (タンガニーカ · ルワンダ · ブルンジ · キオンガ・トライアングル · ヴィトゥラント) · ドイツ領南西アフリカ (ナミビア) · ドイツ領西アフリカ(ドイツ語版、英語版) (ドイツ領カメルーン (カメルーン) · ドイツ領トーゴラント (トーゴ · ガーナの一部))

太平洋
ドイツ帝国国旗
ドイツ帝国国章
租借地
中国
非承認
南極