ディアスポラ

古代ギリシャでのギリシャ人たちのコミュニティー(紀元前800~480年)
現在、ギリシャ人が多い国を示す。

ディアスポラギリシア語: διασπορά英語: Diaspora, diasporaヘブライ語: גלות‎)または民族離散は、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、よくパレスチナ以外の地に移り住んだユダヤ人およびそのコミュニティに使われたが、古代から現代にかけてのギリシャ人のディアスポラ、アルメニア人のディアスポラにも使われて、最近では華僑印僑日本人のディアスポラ(日系人)などと広く使われている。

概説

ディアスポラは、元の国家民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指すようになった[1][2]難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある。

歴史的な由来から、英単語としては、民族などを指定せず大文字から単に Diaspora と書く場合には特にイスラエルパレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを指し、小文字から diaspora と書く場合には他の国民や民族を含めた一般の離散定住集団を意味する時代もあった[3]

しかし、もともと古代ギリシャのディアスポラに使われたもので、最近ではアルメニア人のディアスポラ華僑、海外の華人、そして欧米の大都市で居住・労働するインド亜大陸出身の知識人[4]アメリカ=メキシコ国境におけるチカーノ(下層移民)の分裂、ブラック・アトランティック(黒い大西洋)[注 1]といった多様な文化的枠組みを記述するうえでこの術語が用いられるようになっている[5]

古代から現代へのギリシャ人のディアスポラ

詳細は「en:Greek diaspora」を参照

古代ギリシャでは、ギリシャ民族がギリシャの国を離れて、地中海沿岸や黒海沿岸に進出して、ギリシャ人コミュニティーを作っていった。

近代においても、19世紀は政治的な理由で、20世紀には経済的な理由で、ギリシャ人の海外進出は続いた。

ユダヤ人のディアスポラ

パレスチナ・ディアスポラの花嫁部屋(国立民族学博物館大阪府吹田市

歴史的経緯

イスラエルの歴史
イスラエルの旗
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イスラエル (民族)  
カナン移住  
出エジプト c.1280 BC
ユダヤ教成立  
士師の時代  
イスラエル王国 c.1020 BC-722 BC
ユダ王国 c.930 BC-586 BC
アッシリア捕囚 c.740 BC-538 BC
アッシリア 722 BC-612 BC
バビロン捕囚 586 BC-538 BC
新バビロニア 586 BC-536 BC
アケメネス朝 536 BC-333 BC
アレクサンドロス大王 333 BC-323 BC
プトレマイオス朝 323 BC-198 BC
セレウコス朝 198 BC-c.140 BC
マカバイ戦争 167 BC
ハスモン朝 c.140 BC-37 BC
ヘロデ朝 37 BC-92
ユダヤ属州 1C BC-135
ユダヤ戦争 66-73
キトス戦争(英語版) 115-117
バル・コクバの乱 132-135
パレスチナ 135-390
ディアスポラ  

イスラエル ポータル

古代地中海世界の諸都市にはユダヤ人共同体が多く存在する。一般的に周辺住民によるイスラエル民族への弾圧によって成立したといわれることが多いが、実際には(特にヘレニズム期に)人間や物資が地中海世界を自由に往来する中で発達した。フェニキア植民地であったカルタゴは滅亡(紀元前146年)の後、バアル信仰を捨て、ユダヤ教への改宗が進んだ。

古代世界最大のユダヤ人コミュニティはエジプトの大都市アレクサンドリアにあり、ローマ属州時代に存在したものである。ユダヤ人の本国フェニキアでもユダヤ教への改宗は進み、それがキリスト教正教会)普及への流れを産んだ。

ユダヤ人は多くの都市において自治組織 (qehilla) を持ち、独自の宗教・文化を守って暮らしていた。古代以来、地中海世界でユダヤ人はギリシャ人と商業面で競合することが多く、迫害されることもあった。

また、ローマ帝国においては、兵役に就かず、唯一神以外礼拝しないユダヤ人は特異な存在と見なされることが多かった。離散したユダヤ系の人々は追放を受けるなどとされていたほか、土地が与えられずに迫害を受けることがあった。

詳細は「ユダヤ人#歴史」および「ユダヤ戦争」を参照

キリスト教との関係

初期キリスト教は各都市のディアスポラのシナゴーグを拠点としてローマ帝国内に広まっていった。初期キリスト教徒はユダヤ教の会堂において礼拝を行うことが一般的であり、当時におけるディアスポラの存在意義は大きい。

博物館

ユダヤ人のディアスポラの歴史をわかりやすく展示したディアスポラ博物館が、テルアビブ大学の構内に設置されている。

アルメニア人のディアスポラ

4世紀にいち早くキリスト教国教として取り入れたアルメニアは大いに繁栄し、その後イスラム教を受け入れた国々に囲まれ圧迫を受けても、11 - 12世紀には南トルコキリキア・アルメニア王国を建てるなどもした。しかしその後勢いが衰えて、アルメニア人はレバノンなど地中海西部へのディアスポラができた。

近・現代には、19世紀末から始まったオスマン・トルコで起きたアルメニア人虐殺、また20世紀にソ連に組み入れられて起きた宗教弾圧などで、西ヨーロッパ南北アメリカオーストラリアなどでのディアスポラが大規模に行われた。

アフリカ人のディアスポラ

詳細は「en:African diaspora」および「en:Black diaspora」を参照

「アフリカ人のディアスポラ」(African diaspora)という用語は1990年代から言われるようになった。16世紀から19世紀にかけて、西部アフリカ中部アフリカ黒人たちが大西洋奴隷貿易(Atlantic slave trade)を通して、大勢南北アメリカへ渡った。ディアスポラが「頭脳帰還」して、母国の発展に寄与する「チータ―世代」(Cheetah Generation)として歓迎するアフリカの国も出てきている[6]

中国人のディアスポラ

詳細は「華僑」を参照

華僑も、近年では世界的に「中国人のディアスポラ」という視点で捉えられている[7]

インド人のディアスポラ

印僑」を参照

インド系の人々の海外移住者を、中国系の華僑になぞらえて、「印僑」(いんきょう)と呼ぶ[注 2]南インドドラヴィダ人は海洋民族であり、古来からインド洋を超えて東南アジアアフリカにまで渡った。しかし、近・現代のインド人海外移住は三つの波があった。

まず一次は、イギリス支配下の19世紀には、同じイギリス支配下のマレーシア南アメリカガイアナアフリカ東部タンガニーカケニアウガンダなどに農業従事者として移住が行われた。二次・三次はおもに20世紀後半で、肉体労働者として中東諸国へ渡る者たち、高い学歴を生かしておもに欧米諸国に渡る人たちができた。

インド系住民はイギリスに720万人[8]、アメリカ合衆国に住む412万人[9] である。インド系住民が勢力を持つ国には、シンガポール(8%)、マレーシア(61%)、ガイアナ(51%)、トリニダード・トバゴ(41%)などがある[10]

日本人のディアスポラ

詳細は「日系人」および「en:Japanese diaspora」を参照

人数も広がりも中国ほどではないが、日本でも16世紀のアユタヤ日本人町に始まり、明治以降はハワイ北米大陸、中南米諸国に移動した。また第二次世界大戦以降は経済的困難な時代の移民という形や、その後の経済進出、または海外在住退職者などで、海外に日本人コミュニティーができた。

こうした現象は、特に1990年代以降「日本人のディアスポラ」(Japanese diaspora)という概念で、世界的にはくくられている。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ポール・ギルロイが呼称する、大西洋岸各地に四散した黒人のこと。
  2. ^ 中国語では海外の日系人を「日僑」と呼び、また旧満州からの日本人引揚げを「日僑遣返」などという。

出典

  1. ^ ディアスポラdiaspora(時事用語辞典)
  2. ^ ディアスポラ Diaspora - Artwords(アートワード)
  3. ^ Diaspora, Merriam-Webster
  4. ^ ジョナサン・ボヤーリン、ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力 — ユダヤ文化の今日性をめぐる試論』平凡社、2008年、p.17.
  5. ^ 「ディアスポラ」をめぐる研究動向 - 早尾貴紀 (アジア太平洋研究センター年報 2008-2009)
  6. ^ 「ディアスポラ」「頭脳帰還」「チーター世代」──アフリカの開発を牽引するアフリカの人々(集公社)
  7. ^ シンポジウム:グローバリゼーションと中国人ディアスポラ(日中社会学会、2011年)
  8. ^ http://www.nomisweb.co.uk 2011年オフィシャル労働市場統計ホームページ 種別"Asian / Asian British: Indian"に該当
  9. ^ 2011-2015年国勢調査:種別"Asian Indian"に該当
  10. ^ 世界にはばたくインド系(月刊Web Magazine)

関連項目

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、ディアスポラに関するカテゴリがあります。
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