ハリウッド・ピクチャーズ
元の種類 | 子会社 |
---|---|
業種 | エンターテインメント |
その後 | 閉鎖 |
後継 | タッチストーン・ピクチャーズ (1984年-2017年) 20世紀スタジオ (2019年-) |
設立 | 1989年2月1日 (35年前) (1989-02-01) |
創業者 | マイケル・アイズナー ジェフリー・カッツェンバーグ |
解散 | 2007年4月27日 17年前 (2007-04-27) |
本社 | 、 |
製品 | 映画 |
親会社 | ウォルト・ディズニー・スタジオ |
部門 | ハリウッド・ピクチャーズ・ホーム・エンターテイメント |
ハリウッド・ピクチャーズ(Hollywood Pictures)は、アメリカの映画製作・配給会社で、ウォルト・ディズニー・カンパニーの事業部門であるウォルト・ディズニー・スタジオの一部門である。当時のディズニーのCEOマイケル・アイズナーは当初、ハリウッド・ピクチャーズをタッチストーンのような本格的なスタジオにするつもりだった。後年、その事業は縮小され、経営は主力スタジオであるウォルト・ディズニー・ピクチャーズに併合された。これまでで最も収益をあげた作品は『シックス・センス』で、北米興行収入で2億ドル以上であった。
歴史
ハリウッド・ピクチャーズ・カンパニーは1984年3月30日に法人化され、1989年2月1日に活動を開始した。リカルド・メストレスがディズニーのタッチストーン・ピクチャーズから移ってきて、この部門の初代社長に任命された。この部門は、MGM/UAのユナイテッド・アーティスツの閉鎖、ロリマー・テレピクチャーズとデ・ラウレンティス・エンターテインメント・グループの財務問題など、業界の縮小によって残されたギャップを埋めるために、新進の経営者に機会を作り、ディズニーの長編映画の製作を増すために設立されたものである。タッチストーンがハリウッドと並ぶことで、2つのディズニー・スタジオの製作部門は、マーケティングと配給のスタッフを共有することになる。ハリウッドは1991年までに年間12本の映画を製作し、シルバー・スクリーン・パートナーズIVからの資金を共有する予定だった。最初の作品は『アラクノフォビア』(1990年)。
1990年10月23日、ウォルト・ディズニー・カンパニーは、シルバー・スクリーン・パートナーシップ・シリーズに代わる映画スタジオの主要資金源として、タッチウッド・パシフィック・パートナーズIを設立した。
当時更新されたばかりのパラマウント・ピクチャーズとの契約が解除した後、ドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーは1991年1月18日に彼らのプロダクションをハリウッド・ピクチャーズに移籍した。
最初の6年間は主に低予算コメディー映画で、『ホーリー・ウェディング』、『アスペン』、『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』[1]、『スウィング・キッズ/引き裂かれた青春』、『ベルボーイ狂騒曲/ベニスで死にそ〜』、『ボーン・イエスタデイ』、『ギルティ/罪深き罪』など、興行的に失敗した映画も数本発表した。興行的な成功は『ゆりかごを揺らす手』、批評的な成功は『ジョイ・ラック・クラブ』の1本のみで、興行成績の低迷を上回るには至らなかった。1994年4月26日、メストレスは成績不振のため辞任を余儀なくされた。メストレスはスタジオとの長期的な制作契約に移った[2]。
1994年6月27日、ディズニー・パブリッシング・グループの上級副社長としてハイペリオン・ブックスなどの国内出版部門を統括していたマイケル・リントンが新部門の社長に就任した。メストレは、リントンにいくつかのヒット作の候補を残した。ロバート・レッドフォードの『クイズ・ショウ』、サラ・ジェシカ・パーカーとアントニオ・バンデラスのドラマ『マイアミ・ラプソディー』、ミシェル・ファイファー主演の『デンジャラス・マインド/卒業の日まで』などである。1997年、リントンはペンギン・グループに移籍した。2001年までにハリウッド・ピクチャーズは80本の映画を製作したが、その運営は段階的に縮小された。
5年間の沈黙の後、低予算のジャンル映画のためにブランドが再活性化された。復活したハリウッドが公開した映画は、ホラー映画の『DEATH GAME デスゲーム』(2006年)、『カニング・キラー/殺戮の沼』(2007年)、『臨死』(2007年)の3本である。3作品の公開後、ディズニーはこのレーベルでの製作と配給を中止し、主要な映画スタジオであるタッチストーン(2016年まで)、ABC、ESPN、ピクサーなどの中核ブランドに焦点を当てることを発表した。
主な作品
邦題 | 原題 | 全米公開日 | 共同製作者 |
---|---|---|---|
アラクノフォビア | Arachnophobia | 1990年6月18日 | アンブリン・エンターテインメント |
ファイロファックス/トラブル手帳で大逆転 | Taking Care of Business | 1990年8月17日 | シルバー・スクリーン・パートナーズⅣ(英語版) |
RUN/標的にされた男 | Run | 1991年2月1日 | |
あなたに恋のリフレイン | The Marrying Man | 1991年4月5日 | |
ニューヨーク・ジャスティス 許された犯罪 | One Good Cop | 1991年5月3日 | |
私がウォシャウスキー | V.I. Warshawski | 1991年7月26日 | |
ゆりかごを揺らす手 | The Hand That Rocks the Cradle | 1992年1月10日 | インタースコープ・コミュニケーションズ(英語版)とNomura Babcock & Brown |
ザ・スタンド | Medicine Man | 1992年2月7日 | シナージ・ピクチャーズ 北米、ドイツの配給のみ |
ベルボーイ狂騒曲/ベニスで死にそ〜 | Blame It on the Bellboy | 1992年2月7日 | シルバー・スクリーン・パートナーズⅣ |
ストレート・トーク/こちらハートのラジオ局 | Straight Talk | 1992年4月3日 | タッチウッド・パシフィック・パートナーズⅠ(英語版) |
お葬式だよ全員集合! | Passed Away | 1992年4月24日 | |
原始のマン | Encino Man | 1992年5月22日 | |
刑事エデン/追跡者 | A Stranger Among Us | 1992年7月17日 | |
サラフィナ! | Sarafina! | 1992年9月18日 | ミラマックス、BBC、Distant Horizon、Vanguard Films |
隣人 | Consenting Adults | 1992年10月16日 | Touchwood Pacific Partners I |
ホワイトハウス狂騒曲 | The Distinguished Gentleman | 1992年12月4日 | |
アスペン | Aspen Extreme | 1993年1月22日 | |
スウィング・キッズ/引き裂かれた青春 | Swing Kids | 1993年3月5日 | |
ボーン・イエスタデイ | Born Yesterday | 1993年3月26日 | |
ブラッド・イン ブラッド・アウト | Blood In Blood Out | 1993年4月16日 | |
スーパーマリオ 魔界帝国の女神 | Super Mario Bros. | 1993年5月28日 | シナージ・ピクチャーズ、ライトモーティブ(英語版)、アライド・フィルムメイカーズ(英語版) 北米配給のみ |
ギルティ/罪深き罪 | Guilty as Sin | 1993年6月4日 | |
カントリー・ファーム/招かれざる婿!? | Son in Law | 1993年7月2日 | |
パパと呼ばれて大迷惑!? | Father Hood | 1993年8月27日 | |
ジョイ・ラック・クラブ | The Joy Luck Club | 1993年9月8日 | |
ビッグ・マネー・ブルース | Money for Nothing | 1993年9月10日 | |
トゥームストーン | Tombstone | 1993年12月25日 | シナージ・ピクチャーズ 北米配給のみ |
アフリカン・ダンク | The Air Up There | 1994年1月7日 | |
愛に気づけば… | Angie | 1994年3月4日 | キャラバン・ピクチャーズ |
ホーリー・ウェディング | Holy Matrimony | 1994年4月8日 | |
イン・ザ・アーミー こちら最前線、異常あり | In the Army Now | 1994年8月12日 | |
薔薇の素顔 | Color of Night | 1994年8月19日 | シナージ・ピクチャーズ |
僕たちのサマーキャンプ/親の居ぬ間に… | Camp Nowhere | 1994年8月26日 | |
クイズ・ショウ | Quiz Show | 1994年9月14日 | |
ターミナル・ベロシティ | Terminal Velocity | 1994年9月23日 | インタースコープ・コミュニケーションズ、ポリグラム・フィルムド・エンターテインメント(英語版) and Nomura Babcock & Brown |
ブレイン・スナッチャー/恐怖の洗脳生物 | The Puppet Masters | 1994年10月21日 | |
ダーティ・シェイム | A Low Down Dirty Shame | 1994年11月23日 | キャラバン・ピクチャーズ |
ハウスゲスト あんただ~れ? | Houseguest | 1995年1月6日 | |
マイアミ・ラプソディー | Miami Rhapsody | 1995年1月27日 | |
最高のルームメイト | Roommates | 1995年3月3日 | インタースコープ・コミュニケーションズ、ポリグラム・フィルムド・エンターテインメント and Nomura Babcock & Brown |
ファニー・ボーン 骨まで笑って | Funny Bones | 1995年3月31日 | |
あなたが寝てる間に… | While You Were Sleeping | 1995年4月21日 | キャラバン・ピクチャーズ |
恋する放火魔 | A Pyromaniac's Love Story | 1995年4月28日 | |
クリムゾン・タイド | Crimson Tide | 1995年5月12日 | ドン・シンプソン/ジェリー・ブラッカイマー フィルム |
デンジャラス・マインド/卒業の日まで | Dangerous Minds | 1995年6月9日 | ドン・シンプソン/ジェリー・ブラッカイマー フィルムとヴィア・ローザ・プロダクション |
ジャッジ・ドレッド | Judge Dredd | 1995年6月30日 | シナージ・ピクチャーズ 北米配給のみ |
闇を見つめる瞳 | The Tie That Binds | 1995年9月8日 | インタースコープ・コミュニケーションズとポリグラム・フィルムド・エンターテインメント |
想い出の微笑 | Unstrung Heroes | 1995年9月8日 | ポリグラム・フィルムド・エンターテインメント |
ダーク・ストリート/仮面の下の憎しみ | Dead Presidents | 1995年10月4日 | キャラバン・ピクチャーズとアンダーワールド・エンターテインメント |
スカーレット・レター | The Scarlet Letter | 1995年10月13日 | シナージ・ピクチャーズ |
パウダー | Powder | 1995年10月27日 | キャラバン・ピクチャーズ |
ニクソン | Nixon | 1995年12月22日 | シナージ・ピクチャーズ |
陽のあたる教室 | Mr. Holland's Opus | 1995年12月29日 | インタースコープ・コミュニケーションズとポリグラム・フィルムド・エンターテインメント 北米配給のみ |
白い嵐 | White Squall | 1996年2月2日 | スコット・フリー・プロダクションズとラルゴ・エンターテインメント(英語版) 北米配給のみ |
判決前夜/ビフォア・アンド・アフター | Before and After | 1996年2月23日 | キャラバン・ピクチャーズ |
ダンク・ブラザース/脱線ファンにご用心 | Celtic Pride | 1996年4月19日 | |
スパイ・ハード | Spy Hard | 1996年5月24日 | |
エディー 勝利の天使 | Eddie | 1996年5月31日 | アイランド・ピクチャーズとポリグラム・フィルムド・エンターテインメント |
ザ・ロック | The Rock | 1996年6月7日 | ドン・シンプソン/ジェリー・ブラッカイマー フィルム |
ジャック | Jack | 1996年8月9日 | アメリカン・ゾエトロープ |
潜在殺意 | The Rich Man's Wife | 1996年9月13日 | キャラバン・ピクチャーズ |
チャンス! | The Associate | 1996年10月25日 | インタースコープ・コミュニケーションズとポリグラム・フィルムド・エンターテインメント |
エビータ | Evita | 1996年12月25日 | シナージ・ピクチャーズ |
プリフォンテーン | Prefontaine | 1997年1月24日 | |
ザ・ターゲット | Shadow Conspiracy | 1997年1月31日 | シナージ・ピクチャーズ 北米配給のみ |
ポイント・ブランク | Grosse Pointe Blank | 1997年4月11日 | キャラバン・ピクチャーズとロジャー・バーンボーム・プロダクション |
ゴーン・フィッシン' | Gone Fishin' | 1997年5月30日 | キャラバン・ピクチャーズ |
G.I.ジェーン | G.I. Jane | 1997年8月22日 | キャラバン・ピクチャーズ、スコット・フリー・プロダクションズ、ロジャー・バーンボーム・プロダクション、ラルゴ・エンターテインメント |
ワシントン・スクエア | Washington Square | 1997年10月17日 | キャラバン・ピクチャーズ、ロジャー・バーンボーム・プロダクション、Alchemy Filmworks |
ファングルフ/月と心臓 | An American Werewolf in Paris | 1997年12月25日 | Cometstone Pictures |
ザ・グリード | Deep Rising | 1998年1月30日 | シナージ・ピクチャーズ |
アラン・スミシー・フィルム | An Alan Smithee Film: Burn Hollywood Burn | 1998年2月27日 | |
ファイアーライト/情炎の愛 | Firelight | 1998年9月4日 | ミラマックス、Carnival Films、Wind Dancer Productions |
サイモン・バーチ | Simon Birch | 1998年9月11日 | キャラバン・ピクチャーズ、ロジャー・バーンボーム・プロダクション |
シックス・センス | The Sixth Sense | 1999年8月6日 | スパイグラス・エンターテインメント、ザ・ケネディ/マーシャル・カンパニー |
ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ | Breakfast of Champions | 1999年9月17日 | サミット・エンターテインメント |
ミステリー、アラスカ | Mystery, Alaska | 1999年10月1日 | |
ガンシャイ | Gun Shy | 2000年2月4日 | Fortis Films |
デュエット | Duets | 2000年9月15日 | Seven Arts Pictures and ビーコン・ピクチャーズ(英語版) |
13デイズ | Thirteen Days | 2001年1月12日 | ニュー・ライン・シネマ、ビーコン・ピクチャーズ and Tig Productions 北米以外の配給のみ |
マイ・ラブリー・フィアンセ | Just Visiting | 2001年4月6日 | ゴーモン 北米配給のみ |
DEATH GAME デスゲーム | Stay Alive | 2006年3月24日 | スパイグラス・エンターテインメントとEndgame Entertainment 北米配給のみ |
カニング・キラー/殺戮の沼 | Primeval | 2007年1月12日 | Pariah Entertainment |
臨死 | The Invisible | 2007年4月17日 | スパイグラス・エンターテインメント |
脚注
- ^ Eller, Claudia (1994年8月17日). “A Stranger in a Strange Land Is Hollywood Pictures' New Player”. Los Angeles Times. https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1994-08-17-ca-28124-story.html 2014年12月24日閲覧。
- ^ Welkos, Robert W. (1994年4月27日). “Mestres Out as President of Disney Unit”. Los Angeles Times. https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1994-04-27-fi-50984-story.html 2014年12月24日閲覧。
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