パウリ・ケレス
パウリ・ケレス | |
---|---|
フルネーム | Paul Keres |
国 | エストニア ソビエト連邦 |
生誕 | (1916-01-07) 1916年1月7日 ロシア帝国 ナルヴァ |
死没 | (1975-06-05) 1975年6月5日(59歳没) フィンランド ヘルシンキ |
タイトル | グランドマスター ソビエト連邦チャンピオン(1947年、1950年、1951年)[1] |
テンプレートを表示 |
パウリ・ケレス(Paul Keres、1916年1月7日 - 1975年6月5日)は、エストニア出身の旧ソビエト連邦のチェスプレーヤーである。
来歴・人物
ナルヴァ生まれ。4歳の時、父親がチェスを指しているのを見てチェスを覚えた[1]。若い頃は自分の故郷で国際大会がないので郵便チェスを指していた[1]。郵便チェスを指していた頃ケレスがよく指したオープニングはポンチアニ・オープニングである[2]。世界チャンピオンになってもよいくらいに強いプレーヤーだったが[1]、1948年に当時空位となった世界チャンピオンの座をめぐりミハイル・ボトヴィニク、ワシリー・スミスロフ、マックス・エーワ、サミュエル・ハーマン・レシェフスキーと5人で新チャンピオンの座を争ったが、同率3位に終わった。その後も挑戦者決定大会では4度連続2位になり、ついに挑戦者にはなれなかった[1]。しかし長い間「世界チャンピオンになれなかった最強のプレーヤー」と呼ばれた[1]。なおケレスはソビエト連邦選手権では3回チャンピオンとなっている[1]。
心筋梗塞のためフィンランドの首都ヘルシンキで59歳にて死亡。エストニアでは2011年に通貨をユーロに移行するまで、5クローン紙幣にケレスの肖像が印刷されていた。
脚注・出典
[脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g 『やさしい実戦集』、67頁。
- ^ 『定跡と戦い方』、33頁。
参考文献
- 有田謙二 著 『チェス・マスター・ブックス 1 定跡と戦い方』 河出書房新社、1980年1月25日初版発行、1995年10月25日改訂版初版発行(ISBNコードは ISBN 978-4-309-72171-2)、2010年9月30日新装版初版発行(ISBNコードは ISBN 978-4-309-73141-4)
- 有田謙二 著 『チェス・マスター・ブックス 5 やさしい実戦集』 河出書房新社、1976年6月15日初版発行
ウィキメディア・コモンズには、パウリ・ケレスに関連するカテゴリがあります。