パスカル・ファブル
パスカル・ファブル | |
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基本情報 | |
国籍 | フランス |
出身地 | 同・リヨン |
生年月日 | (1960-01-09) 1960年1月9日(64歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1987 |
所属チーム | '87 AGS |
出走回数 | 14 (11スタート) |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1987年ブラジルグランプリ |
最終戦 | 1987年メキシコグランプリ |
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パスカル・ファブル(Pascal Fabre, 1960年1月9日 - )は、フランス・リヨン出身のレーシングドライバーである。
経歴
初期の経歴
1979年、エルフ石油の特待生[1]としてエキュリー・エルフよりフランスフォーミュラ・ルノーに参戦し四輪レースデビュー、ランキング7位となる。1980年にフランスF3選手権へと昇格し、優勝はなかったが手堅く表彰台を獲得。同年チャンピオンとなったアラン・フェルテに続くランキング2位を獲得。同年から並行してヨーロッパF3選手権にも参戦し、1983年のヨーロッパF3選手権でランキング10位となった。なお、1982年には後にF1でも所属するAGSよりヨーロッパF2選手権にも参戦を開始し、第6戦ヴァレルンガで3位表彰台を獲得した。
1983年からル・マン24時間レースに参戦。フォーミュラでは1984年のヨーロッパF2第7戦ホッケンハイムリンクでティエリー・タッシン、ミシェル・フェルテを抑えてF2初優勝を達成。F2からF3000へと改組され1986年の国際F3000選手権では開幕戦でポールポジションを獲得し決勝レースでも優勝。1987年に向けて、F2時代にも所属したフランスの小規模チームAGSのF1シートを獲得する。
フォーミュラ1
1987年の開幕戦ブラジルGPから第7戦イギリスGPまで、全ドライバーの中で唯一の全戦完走を果たしていたが、AGS・JH22の戦闘力の問題もあり「走るシケイン」の異名を取るワーストレベルのドライバーだと評された[2]。第10戦オーストリアGPでもレースをフィニッシュしたが、最低周回数を満たさず完走扱いにはならなかった。後半戦では1カーエントリーだったオゼッラとラルースがセカンドカーの出走を決め、コローニもスポット参戦を開始したため、JH22での予選通過は至難の業となった。ファブルは第11戦イタリアGPで予選落ちし、第14戦メキシコGPで3回目の予選落ちを喫した[3]。このグランプリを最後にチームが新たにロベルト・モレノの起用を決め、ファブルはシートを失った。F1での決勝最高位は9位(フランスGP、イギリスGP)。
スポーツカーレース
1989年よりクラージュ・コンペティションに加入し、世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC)に参戦。以後スポーツカーレースを舞台に参戦し、ル・マン24時間レースには2001年までの長い間参戦した。
レース成績
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1983年 | WM セカテバ | ロジェ・ドルチー アラン・クールデ | WM・P83-プジョー | C | 278 | 16位 | 12位 |
1989年 | クラージュ・コンペティション | ジーン・ルイス・ブスケ 米山二郎 | クラージュ・C22LM-ポルシェ | C1 | 110 | DNF | DNF |
1990年 | ミシェル・トロレ リオネル・ロベール | クラージュ・C24S-ポルシェ | C1 | 347 | 7位 | 7位 | |
1991年 | オートモビルズ ルイス デカルト レーシング オーガニゼーション コルセ | ベルナール・チューナー | ROC・002-フォード コスワース | C1 | 38 | DNF | DNF |
1993年 | クラージュ・コンペティション | デレック・ベル リオネル・ロベール | クラージュ・C30LM-ポルシェ | C2 | 347 | 10位 | 5位 |
1994年 | リオネル・ロベール ピエール=アンリ・ラファネル | クラージュ・C32LM-ポルシェ | LMP1 /C90 | 107 | DNF | DNF | |
1996年 | チーム・メニコン・サード | アラン・フェルテ マウロ・マルティニ | サード・MC8R-トヨタ | GT1 | 256 | 24位 | 15位 |
1998年 | パイロット レーシング | ミシェル・フェルテ フランソワ・ミゴール | フェラーリ・333SP | LMP1 | 203 | DNF | DNF |
2001年 | ROC オート | ジョルディ・ジェネ ジャン=デニス・デレトラズ | レイナード・2KQ-LM-VW | LMP675 | 284 | 5位 | 1位 |
ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | Pos. | Pts |
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1983年 | エキープ・セルジ・ソルニエ | マルティニ・MK39 | アルファロメオ | VLL 6 | NÜR C | ZOL 5 | MAG Ret | ÖST 6 | LAC 3 | SIL 11 | MNZ 8 | MIS 9 | ZAN 10 | KNU 7 | NOG Ret | JAR | IMO | DON | CET | 10位 | 8 |
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
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1984年 | PMCモータースポーツ | マーチ・842 | BMW M12/7 | SIL 5 | HOC Ret | THR Ret | VLL 5 | MUG 9 | PAU 7 | HOC 1 | MIS | PER | DON | BRH | 8位 | 13 |
国際F3000選手権
年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント | |
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1985年 | オレカ | マーチ・85B | コスワース DFV | SIL | THR | EST | NÜR | VLL | PAU | SPA | DIJ | PER | ÖST | ZAN | DON 10 | NC | 0 |
1986年 | ローラ・モータースポーツ | ローラ・T86/50 | SIL 1‡ | VLL 2 | PAU Ret | SPA 9 | IMO 10 | MUG Ret | PER 3 | ÖST Ret | BIR 5‡ | BUG | JAR | 7位 | 15.5 |
- ‡ : ハーフポイント。レース周回数が75%未満で中断終了したため、得点が半分となる。
F1
年 | 所属チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
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1987年 | AGS | JH22 | フォード・コスワース DFZ V8 | G | BRA 12 | SMR 13 | BEL 10 | MON 13 | DET 12 | FRA 9 | GBR 9 | GER Ret | HUN 13 | AUT NC | ITA DNQ | POR DNQ | ESP Ret | MEX DNQ | JPN | AUS | NC (22位) | 0 |
脚注
AGS | |
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創設者 |
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主なチーム関係者 |
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F1ドライバー | |
F1マシン | |
F3000マシン |
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F2マシン |
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F3マシン |
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フォーミュラ・ルノー |
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フォーミュラ・フランス |
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フォーミュラ・ジュニア |
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旧F3マシン (500 cc) |
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主なスポンサー |