ファランヘ党

曖昧さ回避 この項目では、スペインの政党について説明しています。レバノンの政党・民兵組織については「ファランヘ党 (レバノン)」をご覧ください。
スペインの旗 スペイン政党
ファランヘ党
Falange Española Tradicionalista
くびきと矢
総統 フランシスコ・フランコ
成立年月日 1933年10月29日
解散年月日 1977年[1]
解散理由 民主化により消滅[1]
本部所在地 スペインの旗 スペインマドリード
政治的思想・立場 ファランジズム(英語版)
国家主義[2][3]
国家サンディカリスム
ファシズム[1][4][2]
機関紙 Patria Sindicalista
シンボル
党旗
テンプレートを表示
第三の位置
党・運動
ファシスト党
黒色戦線
ファランヘ党
新体制運動
イギリス国民党
国家ボリシェヴィキ党
en:American Freedom Party
en:Parti Communautaire Européen
Parti Communautaire
National-Européen

en:National Bolshevik Front
ファシズム
ファスケス
テーマ
ファシズムの定義
ファシズムの経済
ファシズムとイデオロギー
世界のファシズム
記号体系
組織
枢軸国
黒い旅団
黒シャツ隊
青シャツ隊
藍衣社
赤シャツ隊
ファシスト・インターナショナル
ファシズム大評議会
緑シャツ隊
イタリア国家主義協会
ナチス親衛隊
突撃隊
歴史
ファッショ
ローマ進軍
ミュンヘン一揆
アチェルボ法
アヴェンティン分離
イタリアファシスト
ナチス・ドイツ
アディスアベバ攻略
ヴェローナ議会
イタリア社会共和国
一覧
反ファシスト
イギリスのファシスト
各国のファシズム
ナチスのイデオロギー
関連項目
反ファシズム
教権的ファシズム
クリプトファシズム(en)
ヨーロピアンファシズム(en)
ファシスト(蔑称)(en)
左翼ファシズム(en)
ファシスト四天王
ファスケス
社会ファシズム論
再生超国家主義(en)
ローマ式敬礼
ナチス式敬礼
ネオ・ファシズム

イスラムファシズム

ファランヘ党スペイン語: Falange Española Tradicionalista[4])は、1930年代以降の複数の政治運動や政党の名称で、最も有名なのはスペインファシスト政党である。ファランヘ党の思想や運動は、ファランジズム(Falangism)とも呼ばれる。

「ファランヘ」(スペイン語: Falange)とは古代の陣形ファランクス(phalanx)のことで、団結の象徴である(フーリエの「ファランジュ」とも同源)。

1933年に誕生して現在まで続く政党を「旧ファランヘ党」、1937年にフランシスコ・フランコ王党派と合体させた政党を「新ファランヘ党」(国民運動)とも呼ぶ。

歴史

スペインの「旧ファランヘ党」は、1933年プリモ・デ・リベラの息子であるホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラによって創設された。翌年、国家サンディカリスム政党の「攻撃的国家サンディカリスト同盟」(Juntas de Ofensiva Nacional-Sindicalista、JONS)と合併し勢力を伸ばしたが、党員の大部分は21歳以下の学生だった。1936年人民戦線政府によって党幹部が逮捕された。同年7月にスペイン内戦が始まると反乱軍(英語版)側に協力し、このためホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラは獄中で処刑された。

1937年、フランシスコ・フランコは王党派とファランヘ党を合体させ、「新ファランヘ党」の党首に就任した。新しいファランヘ党はスペインの右派ナショナリスト各派を統合し、フランコ独裁の全体主義体制の樹立を目指すようになった[5]1939年の党大会でスペインで唯一の政党となることが決議された。フランコのファシスト・ファランヘ党は、地主、資本家、カトリックを抱き込み、反乱を起こした。スペイン内戦中にはナチス・ドイツがゲルニカを空爆したが、ピカソの「ゲルニカ」は、この際の悲劇をもとに描かれたモノクロ絵画である[6]。スペイン内戦には義勇兵などとして、アーネスト・ヘミングウェイ、ジョージ・オーウェル、アンドレ・マルローらが共和派を支持して参戦した。 やがて民主主義者の願いも空しく、スペイン内戦で勝利し、総統フランコは独裁体制を敷く。ヒトラーやムッソリーニは敗戦により死んだが、狡猾なフランコは戦争に中立を保ち、戦後も独裁体制を維持し続けた。第7代国際オリンピック委員会会長を務めたフアン・アントニオ・サマランチもファランヘ党員であり、「100%のフランコ主義者」と公言するほどの、熱烈なフランコ支持者だった[7]。サマランチは若き日にはストライキ破りのファシストとして知られ、IOCのエイベリー・ブランデージはヒトラー・ファンだったが、サマランチはフランコ・ファンという点が異なっていた。ファランヘ党は、1975年のフランコの死まで独裁制を支えた。国王が即位し、スペインはようやくフランコの独裁から解放され、西側民主主義社会の仲間入りを果たすことができた。

スペインが民主化されると、主流派である新ファランヘは中道政党「民主中道連合」と保守政党「国民同盟」を結成した。非主流派である旧ファランヘは以後も全国組織として活動し、ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラの思想を信奉し、フランコを評価はしていない。

ファランティズムは、当初はイタリアのファシズムに似ていた。それは共産主義や、他の形態の社会主義を嫌悪し、民主主義を軽蔑した。フランコ独裁体制の末期においても、フランコ支持者が画廊に展示されたパブロ・ピカソの絵画を破壊したり、フランコ政府がカタルーニャの反体制派を処刑して、画家ジョアン・ミロ/Joan Miró i Ferràを「悲劇的な時代」と嘆かせたりしていた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク. 2018年9月28日閲覧。
  2. ^ a b デジタル大辞泉 コトバンク. 2018年9月28日閲覧。
  3. ^ 大辞林 第三版 コトバンク. 2018年9月28日閲覧。
  4. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年9月28日閲覧。
  5. ^ Martin Blinkhorn. Fascists and Conservatives: The Radical Right and the Establishment in Twentieth-Century Europe. Reprinted edition. Oxon, England, UK: Routledge, 1990, 2001. p. 10
  6. ^ Picasso, Pablo. Guernica. Museo Reina Sofía  Retrieved 2022-07-27.
  7. ^ サマランチの埋葬 2022年7月2日閲覧

書籍

  • スタンリ-G・ペイン/小箕俊介訳『ファランヘ党 スペイン・ファシズムの歴史』 れんが書房新社、1982年8月。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ファランヘ党に関連するカテゴリがあります。
  • Spartacus article on the Falange including a Falange manifesto
  • (スペイン語) Falange Española de las JONS
  • (スペイン語) La Falange, Spanish Falange party website
  • (スペイン語) Falange Auténtica
  • Christian Falangist Party of America Christian Falange
  • (スペイン語) José Antonio's written legacy