ムジャーヒディーン

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ムジャーヒディーンアラビア語: مجاهدين‎、mujāhidīn‎)は、アラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味するムジャーヒド(アラビア語: مجاهد‎、mujāhid‎)の複数形で属格ならびに対格語形。一般的には、イスラム教の大義に則りジハードに参加する戦士達(聖戦士)を指す。今日では、イスラム教により連携した民兵軍閥を指すことが多い。

歴史

歴史的には、個々のムスリム(イスラム教徒)たちがジハードに対する意識を常に持っていたわけではなく、むしろ近代に至ってイスラム世界に対する侵略に対抗する民衆の抵抗運動において、ムジャーヒド意識が発揮されてきた。19世紀インドで起こった対英ジハード「ムジャーヒディーン運動」は、その代表的なものである。

中世
サラーフッディーン
近代
19世紀
イマーム・シャミール

現代

闘争・紛争

デュアランド・ラインで戦うムジャーヒディーン戦士たち(1985年

アフガニスタン紛争

ムジャーヒディーンの兵士達(1987年
「アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)」、「アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)」、および「アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)」も参照

アフガニスタン1978年アフガニスタン人民民主党による共産政権が成立すると、各地で組織された反政府ゲリラが蜂起した。彼らは自分たちの闘争をアフガニスタンのイスラームを防衛するジハードと位置付け、自らムジャーヒディーンと名乗った組織にはブルハーヌッディーン・ラッバーニーが組織し、アフマド・シャー・マスード軍事的に率いた「イスラーム協会」や、グルブッディーン・ヘクマティヤールが率いる「ヒズビ・イスラーミー(イスラーム党)」、毛沢東主義を掲げるアフガニスタン・ムジャーヒディーン自由の戦士戦線(英語版)などがあった。1979年ソ連軍が軍事介入すると、ムジャーヒディーンはこれにも対抗した。彼らはパキスタン軍統合情報局などからの支援を受け、ソ連軍に激しく抵抗した。アフガニスタンのムジャーヒディーンには、アフガニスタンのみならずイスラム世界の各地から志願兵として若者が集まってきたが、その中心人物がアブドゥッラー・アッザームで、ウサーマ・ビン=ラーディンもその志願兵の1人だったということが知られている。

アメリカCIAを通じてこのようなゲリラ組織に武器や装備を提供していた(サイクロン作戦)。アフガニスタンのムジャーヒディーンは中国からも武器や訓練で援助されていた[1]。ソ連軍の撤退以降、ムジャーヒディーン各派はアフガニスタンでの主導権をめぐり対立、軍閥化していった。後にパキスタン軍統合情報局が支援するターリバーンが台頭すると、ムジャーヒディーンの諸派は連合し北部同盟としてこれに対抗した。

関連団体

イスラム主義」を参照

関連する作品

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ S. Frederick Starr (2004). Xinjiang: China's Muslim Borderland (illustrated ed.). M.E. Sharpe. p. 158. ISBN 0-7656-1318-2. Retrieved May 22, 2012.

関連項目

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