ヤマハ硬式野球部

曖昧さ回避 静岡県磐田市に拠点を置く社会人野球チーム「ヤマハ発動機野球部」とは異なります。
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ヤマハ硬式野球部
チーム名(通称) ヤマハ
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1958年
チーム名の遍歴

  • 日本楽器 (1958 - 1986)
  • ヤマハ (1987 - )
本拠地自治体

チームカラー 紫色
監督 申原直樹[1]
都市対抗野球大会
出場回数 44回
最近の出場 2023年
最高成績 優勝(3回)
日本産業対抗野球大会
出場回数 4回
最近の出場 1972年
最高成績 準優勝
社会人野球日本選手権大会
出場回数 27回
最近の出場 2023年
最高成績 優勝(1回)
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

ヤマハ硬式野球部(ヤマハこうしきやきゅうぶ)は、静岡県浜松市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟している社会人野球の企業チームである(練習グラウンドは静岡県磐田市に所在する)。

運営母体は、楽器音響機器自動車部品製造発売を手がけるメーカーのヤマハ

概要

1958年、『日本楽器硬式野球部』として創部。

1965年都市対抗野球で初出場を果たし、1967年都市対抗野球では準優勝、1972年都市対抗野球では初優勝を果たした。

1976年日本選手権で初出場を果たし、1980年日本選手権1985年日本選手権では準優勝を果たした。

1987年、本社の名称変更に伴いチーム名を『ヤマハ硬式野球部』に改称した。同年は、都市対抗野球で2度目の優勝を果たした。

1990年都市対抗野球で3度目の優勝を果たした。

これまで静岡県内では、大昭和製紙富士市)、河合楽器浜松市)らの強豪と常にしのぎを削ってきたが、1993年に大昭和製紙が休部し(1996年に廃部)、2001年に河合楽器が休部して以降は静岡県内では唯一の企業チームとして活動している。

2016年日本選手権で初優勝を果たした。

設立・沿革

主要大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

元プロ野球選手の競技者登録

かつて在籍していた選手・コーチ・監督

関連項目

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ “社会人野球ヤマハの新監督に申原(のぶはら)直樹氏が就任…中大時代は巨人の阿部慎之助監督の一学年後輩”. スポーツ報知 (2023年12月2日). 2024年1月17日閲覧。
  2. ^ “阪神・鳥谷、兄の素顔 家族に明かした決意”. SANSPO.COM: p. 5. (2017年9月9日). https://www.sanspo.com/article/20170909-LRSBOXSLERLF3MV3WKEK2LYWFY/5/ 2020年3月25日閲覧。 
  3. ^ “「甲子園史上最高の二塁手」と呼ばれた選手 なぜ球界から姿を消した?”. ライブドアニュース. 2019年8月13日閲覧。
  4. ^ 『帝京平成大学硬式野球部の監督に河野和洋氏が就任』(プレスリリース)帝京平成大学、2019年11月22日。https://www.u-presscenter.jp/article/post-42610.html2020年3月25日閲覧 

外部リンク

  • ヤマハ野球部オフィシャルサイト
  • ヤマハ野球部 (@Yamaha_Baseball) - X(旧Twitter)[リンク切れ]
  • ヤマハ硬式野球部 (@yamaha_baseball) - Instagram
  • ヤマハ硬式野球部 (yamaha.baseball) - Facebook
1920年代
  • 1927 満州倶楽部
  • 1928 大連実業団
  • 1929 満州倶楽部
1930年代
  • 1930 東京倶楽部
  • 1931 東京倶楽部
  • 1932 全神戸
  • 1933 東京倶楽部
  • 1934 全大阪
  • 1935 東京倶楽部
  • 1936 門司鉄道局
  • 1937 八幡製鐵
  • 1938 藤倉電線
  • 1939 藤倉電線
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1950年代
1960年代
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