ヤロスラフ3世

曖昧さ回避 この項目では、ウラジーミル大公ヤロスラフ3世について説明しています。キエフ大公ヤロスラフ3世については「ヤロスラフ2世 (ウラジーミル大公)」をご覧ください。
ヤロスラフ3世
Ярослав III
キエフ大公(4世)
ウラジーミル大公(3世)
ノヴゴロドにおけるヤロスラフ3世
在位 1263年 - 1271年

出生 1230年
死去 1271年
配偶者 ナタリヤ
  クセニヤ・ユーリエヴナ
子女 スヴャトスラフ
クセニヤ
ミハイル
家名 リューリク家
王朝 リューリク朝
父親 ヤロスラフ2世
母親 フェオドシヤ・イーゴレヴナ
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ヤロスラフ3世Ярослав III Ярославич, 1230年 - 1271年)は、最初トヴェリ公(在位:1247年 - 1271年)、兄の死後ウラジーミル大公(在位:1263年 - 1271年)。ヤロスラフ2世の子で、ロシア英雄と言われるアレクサンドル・ネフスキーの弟。トヴェリ公国の祖で、彼の血筋が1485年までトヴェリ公国を引き継いだ。息子は、モスクワのユーリー3世のライヴァルであり、サライで処刑されたミハイル公

生涯

兄に仕えて、ヴォルガ川の河港都市トヴェリ(現在のモスクワ北西部)のとして同国の統治に当たった。アレクサンドルの弟だけあって、政治手腕に優れており、彼の統治のもとでトヴェリは大いに発展したと言われている。1263年の兄の死後、ウラジーミル大公として後を継ぎ、兄と同じくモンゴル帝国の地方政権であるジョチ・ウルス宗主国として、親モンゴル的政策を継続した。1271年、42歳で死去する。ウラジーミル大公の位を継いだのは弟のヴァシーリー・ヤロスラヴィチであり、ヤロスラフの息子ミハイルはトヴェリ公位を次いだ。 アレクサンドルとヤロスラフ3世の兄弟仲は良かったが、彼らの死後その家系は互いに対立し、同族争いを繰り広げた。

先代
アレクサンドル・ネフスキー
キエフ
64代
1263年 - 1272年
次代
-
先代
アレクサンドル・ネフスキー
ウラジーミル大公
9代
1263年 - 1271年
次代
ヴァシーリー
ロシア国旗 ロシアの君主 ロシア帝国の小紋章
ウラジーミル・
スーズダリ大公
モスクワ大公
ツァーリ
リューリク朝
動乱時代
ロマノフ朝
インペラートル
ロマノフ朝
  • ピョートル1世1721–1725
  • エカチェリーナ1世1725–1727
  • ピョートル2世1727–1730
  • アンナ1730–1740
  • イヴァン6世1740–1741
  • エリザヴェータ1741–1762
ホルシュタイン=ゴットルプ=
ロマノフ朝
  • ピョートル3世1762
  • エカチェリーナ2世1762–1796
  • パーヴェル1世1796–1801
  • アレクサンドル1世1801–1825
  • ニコライ1世1825–1855
  • アレクサンドル2世1855–1881
  • アレクサンドル3世1881–1894
  • ニコライ2世1894–1917