ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ

ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ
Vincenzo I Gonzaga
マントヴァ公
モンフェッラート公
在位 1587年 - 1612年

出生 (1562-09-21) 1562年9月21日
死去 (1612-02-09) 1612年2月9日(49歳没)
配偶者 マルゲリータ・ファルネーゼ
  エレオノーラ・デ・メディチ
子女 フランチェスコ4世
フェルディナンド
グリエルモ・ドメニコ
マルゲリータ
ヴィンチェンツォ2世
エレオノーラ・ゴンザーガ
家名 ゴンザーガ家
父親 グリエルモ・ゴンザーガ
母親 エレオノーレ・フォン・エスターライヒ
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マントヴァ公ヴィンチェンツォ1世

ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ(Vincenzo I Gonzaga, 1562年9月21日 - 1612年2月9日)は、マントヴァ公。モンフェッラート公としてもヴィンチェンツォ1世である。

生涯

グリエルモ・ゴンザーガと妃エレオノーラ(皇帝フェルディナント1世の娘)の長子として生まれた。

芸術・科学の偉大な庇護者であり、マントヴァを文化中心都市として発展させた。ヴィンチェンツォは、作曲家クラウディオ・モンテヴェルディと画家ピーテル・パウル・ルーベンスを雇い入れた。彼は詩人トルクァート・タッソと友人であった。占星術師ジョヴァンニ・アントニオ・マジーニを、息子フランチェスコとフェルディナンドの家庭教師にした。

1603年から1604年にかけての冬、ガリレオ・ガリレイはマントヴァ宮廷を訪問し、給料のもらえる仕事を求めたが、ヴィンチェンツォに雇われなかった。ガリレイは金の鎖と2つの銀皿を与えられただけだった。

家族

1581年、マルゲリータ・ファルネーゼ(パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼの娘)と結婚。のち結婚無効を申し立てた。

1584年、エレオノーラ・デ・メディチフランチェスコ1世・デ・メディチの娘)と結婚。6子をもうけた。

  • フランチェスコ4世(1586年 - 1612年) 
  • フェルディナンド(1587年 - 1626年) - 1607年より枢機卿。1612年、長兄フランチェスコが男子のないまま死去し、還俗して公位継承
  • グリエルモ・ドメニコ(1589年 - 1591年)
  • マルゲリータ(1591年 - 1632年) - ロレーヌ公アンリ2世妃
  • ヴィンチェンツォ2世(1594年 - 1627年) - 1615年より枢機卿。1626年、次兄フェルディナンドが男子のないまま死去し、還俗して公位継承
  • エレオノーラ・ゴンザーガ(1598年 - 1655年) - 皇帝フェルディナント2世の2度目の皇后

また、マルゲリータ・ファルネーゼとの結婚が破れた後に、彼の男性としての能力を試す試験台になったジュリア・デリ・アルビッツィとの間にも息子が一人いた。

脚注


備考

先代
グリエルモ1世
マントヴァ公
1587年 - 1612年
次代
フランチェスコ4世
先代
グリエルモ10世
モンフェッラート公
1587年 - 1612年
次代
フランチェスコ2世
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