中塩田村

なかしおだむら
中塩田村
廃止日 1956年5月1日
廃止理由 新設合併
西塩田村、別所村、東塩田村中塩田村 → 塩田町
現在の自治体 上田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
小県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 8.55 km2.
総人口 5,703
(国勢調査、1955年
隣接自治体 上田市、小県郡西塩田村、別所村、東塩田村、泉田村浦里村
中塩田村役場
所在地 長野県小県郡中塩田村
座標 北緯36度21分32秒 東経138度11分55秒 / 北緯36.35886度 東経138.19864度 / 36.35886; 138.19864座標: 北緯36度21分32秒 東経138度11分55秒 / 北緯36.35886度 東経138.19864度 / 36.35886; 138.19864
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中塩田村(なかしおだむら)は長野県小県郡にあった。現在の上田市南西部、上田電鉄別所線塩田町駅 - 八木沢駅間の北側一帯にあたる。

歴史

交通

鉄道路線

地域

五加

現在の上田市五加(ごか)。塩田平の中心部に位置し[1]、東は下之郷、南は古安曽に接し、南から西、北にかけてぐるりと本郷に囲まれている。中央を産川が北東へと流れ[2]、その左岸(西側)の河岸段丘上に集落・商店街が形成。中塩田駅が置かれ[1]、1968年(昭和43年)には内堀団地が造成されている[3]。駅周辺や産川右岸(東側)は工場が立地している(五加517、山洋電気株式会社上田事業所塩田工場[4]など)ほかは水田で、ため池の男池・女池・五加前池がある(塩田平のため池群[1]。五加字宮原912に八幡社が[5]、五加1346には真光寺がある[6]。1873年(明治6年)、真光寺に盈進学校(現・上田市立中塩田小学校の前身)が開校した[7]

小県郡五加村を前身とする。戦国時代は五家郷。江戸時代上田藩領で、五賀村とも書いた。明治維新後、上田県を経て長野県に所属。中塩田村・塩田村を経て上田市の大字となる。江戸時代中期から養蚕業が広まったが、産川上流の沢山池建設に伴い水田へと転換。町内のため池ではコイ養殖も行われた[3]

本郷

現在の上田市本郷(ほんごう)。塩田平の中心部に位置し、古くは安宗郷(あそのごう)の中心地であったことが、本郷の地名の起こりとされている[8]。南北に細長い町域をもち[1]、東側は神畑・下之郷・五加、南は古安曽・前山、西側は十人・中野・小島に接する。西縁を産川が北流し[9]、その右岸(東側)上流側から対岸(西側)の塩田町駅周辺にかけて上本郷の集落がある。ため池の上窪池のほか、自治会館、銀行、商店が立地する[1]。上窪池付近に鎮座する泥宮神社(諏訪社)は稲の生育に欠かせない「」そのものを神体とする、当地の産土神である[8]。左岸(西側)下流側には下本郷の集落があり、長野大学の学生が多く暮らしている。公民館や、ため池の上原池のほか[1]、本郷字上原916には誉田別神社がある[5]

小県郡本郷を前身とする。弥生時代からの遺跡(諏訪畑遺跡、枠木遺跡)が残り、古くから稲作が行われていた。江戸時代は上田藩領で、明治維新後、上田県を経て長野県に所属。中塩田村・塩田村を経て上田市の大字となる。江戸時代中期から養蚕業が広まったが、産川上流の沢山池建設に伴い水田へと転換。1957年(昭和32年)、塩田平のため池群の中で初めて、町内にある上窪池でコイの養殖を成功させた[8]

中野

現在の上田市中野(なかの)。塩田平の中心部に位置し[10]、北は保野、東は小島・本郷、南は十人・新町・手塚、西は舞田に接する[11]。産川と湯川との間にある平坦な土地で、塩田町駅・中野駅や[10]、塩田地域自治センター(中野20番地)[12]、中塩田小学校(中野93番地)、塩田中学校(中野377番地)[13]、上田市立塩田中央保育園(中野419番地1)[14]、塩田病院(中野29番地2[15])、諏訪神社(中野字宮脇299)[5]、龍澤寺などがある[16]。町域の北部には学海団地が造成されている[10]

小県郡中野村を前身とする。古くは中野郷。町内に西行が当地に滞在したという歴史から、「西行」という地名が残っている。江戸時代は上田藩領で、明治維新後、上田県を経て長野県に所属。中塩田村・塩田村を経て上田市の大字となる。江戸時代中期から養蚕業が広まったが、戦後は水田へと転換。1970年代以降、団地造成・都市化が進む[17]

小島

現在の上田市小島(こじま)。塩田平中心部の北寄りに位置し[18]、北は神畑、東は本郷、南は中野、西は保野・福田に接する[19]。湯川右岸(南岸)に上小島の集落があり、ため池の小島大池や、上田市立塩田北保育園(小島122番地[14])、公民館、池生神社(小島字屋敷122[5])がある。また、湯川と産川との間には下小島の集落があり、公民館[1]、上田南部消防署(小島550-1)がある[20]

小県郡小島村を前身とする。古くは小島郷。湯川と産川に挟まれた半島状の地形から、「小島」という地名が起こったとされる。江戸時代は上田藩領で、明治維新後、上田県を経て長野県に所属。中塩田村・塩田村を経て上田市の大字となる。江戸時代中期から養蚕業が広まったが、戦後は水田へと転換。ため池ではコイの養殖も行われた[18]

保野

現在の上田市保野(ほや)。北は小泉・吉田・福田、東は小島、南は中野・舞田、西は仁古田に接する[21]。湯川左岸(北側)の河岸段丘上を別所街道(長野県道177号鹿教湯別所上田線)が通過し、下宿・上宿の集落は沿道の宿場町として発展した。コスモス街道の異名をもち、地元の老人会が手入れを行っている。また、町域の北部には新田の集落がある。町内には、ため池の塩吹池・加古池のほか、塩田郵便局(保野192-1[22])、林法院[23](保野147[24])、龍昌院および旭霊園[25](保野424[26])、塩野神社(保野字塩野429[5])がある[27]。「保野の祇園祭」は上田市指定無形民俗文化財[28]。戦国時代の永禄年間に領主の命で京都八坂神社からスサノオを勧進して創始したといい、天正2年の上田城築城の際、三匹獅子舞が地固めをしたと伝わる[29]

小県郡保野村を前身とする。古くは小泉郷のうち、保屋(穂屋、薄屋)。江戸時代は上田藩領で、明治維新後、上田県を経て長野県に所属。中塩田村・塩田村を経て上田市の大字となる。江戸時代中期から養蚕業が広まったが、戦後は水田へと転換した[29]

舞田

現在の上田市舞田(まいた)。北は仁古田・保野、東は中野、南は手塚、西は八木沢に接する[30]。川西丘陵の南麓、湯川左岸(北側)の河岸段丘上に集落が形成。舞田駅が設置されている。このほか、ため池の上平池・共有池、法樹院[31](舞田790[32])、塩野入神社(舞田字塩野入714[5])がある[33]。戦後の道路改良に伴い、隣の八木沢にまたがって八舞団地が造成されている[34]

小県郡舞田村を前身とする。古くは小泉郷のうち、前田。江戸時代は上田藩領で、明治維新後、上田県を経て長野県に所属。中塩田村・塩田村を経て上田市の大字となる。江戸時代中期から養蚕業が広まったが、戦後は水田へと転換した[34]

八木沢

現在の上田市八木沢(やぎさわ)。北は仁古田、東は舞田、南は手塚、西は別所温泉に接する[35]。北部は川西丘陵で[36]、ふもとの湯川の河岸段丘上を別所街道(長野県道177号鹿教湯別所上田線)が通過し、沿道に集落を形成。八木沢駅が設置されている。平地部分は水田が広がり、ため池の山田池から灌漑用水を引水。工場も多く立地する。法輪寺[37]、八木沢天満宮(八木沢字天神西948、天神社[5])、兜神社(八木沢字東森相1195-イ[5])がある[33]。戦後の道路改良に伴い、隣の舞田にまたがって八舞団地が造成されている[36]

小県郡八木沢村を前身とする。江戸時代は上田藩領で、明治維新後、上田県を経て長野県に所属。中塩田村・塩田村を経て上田市の大字となる。江戸時代中期から養蚕業が広まったが、戦後は水田へと転換した[36]

上田地区

踏入 | 常田 | 材木町 | 常入 | 国分 | 天神 | 大手 | 中央 | 中央東 | 中央北 | 中央西 | 常磐城 | 緑が丘 | 二の丸 | 上田 | 小牧 | 諏訪形 | 御所 | 中之条 | 秋和 | 上塩尻 | 下塩尻 | 上田原 | 下之条 | 神畑 | 築地 | 大屋 | 岩下 | 蒼久保 | 福田 | 吉田 | 小泉 | 上野 | 古里 | 住吉

豊殿地区

芳田 | 林之郷 | 殿城 | 漆戸

塩田地区

富士山 | 古安曽 | 下之郷 | 本郷 | 五加 | 中野 | 小島 | 保野 | 舞田 | 八木沢 | 十人 | 新町 | 前山 | 手塚 | 山田 | 野倉 | 別所温泉

川西地区

仁古田 | 岡 | 浦野 | 越戸 | 下室賀 | 上室賀

丸子地区

鹿教湯温泉 | 西内 | 平井 | 東内 | 腰越 | 上丸子 | 中丸子 | 下丸子 | 御嶽堂 | 生田 | 長瀬 | 塩川 | 藤原田

真田地区

菅平高原 | 真田町長 | 真田町傍陽 | 真田町本原

武石地区

武石鳥屋 | 武石沖 | 下武石 | 上武石 | 武石下本入 | 武石上本入 | 武石小沢根 | 武石余里

カテゴリ カテゴリ

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 20 長野県』1249ページ。
  2. ^ “長野県上田市五加の地図”. Mapion. 2019年9月7日閲覧。
  3. ^ a b 『角川日本地名大辞典 20 長野県』469 - 470ページ。
  4. ^ “国内拠点”. 山洋電気. 2019年9月7日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h “神社紹介 上小支部”. 長野県神社庁. 2019年9月7日閲覧。
  6. ^ “iタウンページ 真光寺”. NTTタウンページ. 2019年9月7日閲覧。
  7. ^ “寺の宝 連載第57回 真光寺”. 東信ジャーナル (東信ジャーナル社). http://www.asama.ne.jp/t_journal/tera/57.htm 2019年9月7日閲覧。 
  8. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 20 長野県』1010ページ。
  9. ^ “長野県上田市本郷の地図”. Mapion. 2019年9月7日閲覧。
  10. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 20 長野県』1251ページ。
  11. ^ “長野県上田市中野の地図”. Mapion. 2019年9月7日閲覧。
  12. ^ “塩田地域自治センター”. 上田市 (2019年8月5日). 2019年9月7日閲覧。
  13. ^ “小中学校一覧”. 上田市 (2019年4月8日). 2019年9月7日閲覧。
  14. ^ a b “上田市公立保育園一覧”. 上田市 (2019年7月1日). 2019年9月7日閲覧。
  15. ^ “病院のご案内”. 医療法人共和会 塩田病院. 2019年9月7日閲覧。
  16. ^ “寺の宝 連載第47回 龍澤寺”. 東信ジャーナル (東信ジャーナル社). http://www.asama.ne.jp/t_journal/tera/47-2.htm 2019年9月7日閲覧。 
  17. ^ 『角川日本地名大辞典 20 長野県』815ページ。
  18. ^ a b 『角川日本地名大辞典 20 長野県』479ページ。
  19. ^ “長野県上田市小島の地図”. Mapion. 2019年9月7日閲覧。
  20. ^ “消防本部 所在地一覧”. 上田地域広域連合. 2019年9月7日閲覧。
  21. ^ “長野県上田市保野の地図”. Mapion. 2019年9月7日閲覧。
  22. ^ “塩田郵便局”. 日本郵政グループ. 2019年9月7日閲覧。
  23. ^ “寺の宝 連載第27回 林法院”. 東信ジャーナル (東信ジャーナル社). http://www.asama.ne.jp/t_journal/tera/27.htm 2019年9月7日閲覧。 
  24. ^ “iタウンページ 林法院”. NTTタウンページ. 2019年9月7日閲覧。
  25. ^ “寺の宝 連載第25回 龍昌院”. 東信ジャーナル (東信ジャーナル社). http://www.asama.ne.jp/t_journal/tera/25.htm 2019年9月7日閲覧。 
  26. ^ “iタウンページ 龍昌院”. NTTタウンページ. 2019年9月7日閲覧。
  27. ^ 『角川日本地名大辞典 20 長野県』1252 - 1253ページ。
  28. ^ “信州の文化財 保野の祇園祭”. 八十二文化財団. 2019年9月7日閲覧。
  29. ^ a b 『角川日本地名大辞典 20 長野県』1005 - 1006ページ。
  30. ^ “長野県上田市舞田の地図”. Mapion. 2019年9月7日閲覧。
  31. ^ “寺の宝 連載第73回 法樹院”. 東信ジャーナル (東信ジャーナル社). http://www.asama.ne.jp/t_journal/tera/73.htm 2019年9月7日閲覧。 
  32. ^ “iタウンページ 法樹院”. NTTタウンページ. 2019年9月7日閲覧。
  33. ^ a b 『角川日本地名大辞典 20 長野県』1253ページ。
  34. ^ a b 『角川日本地名大辞典 20 長野県』1015ページ。
  35. ^ “長野県上田市八木沢の地図”. Mapion. 2019年9月7日閲覧。
  36. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 20 長野県』1117ページ。
  37. ^ “寺の宝 連載第59回 法輪寺”. 東信ジャーナル (東信ジャーナル社). http://www.asama.ne.jp/t_journal/tera/59.htm 2019年9月7日閲覧。 

参考文献

関連項目

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