中山節夫

中山節夫(なかやませつお、1938年7月29日[1] - )は日本の映画監督熊本県菊池郡合志町出身。

略歴

1960年多摩美術大学付属芸術学園映画科を卒業し、日活撮影所に入所。1962年よりフリーの助監督として多数の作品に携わった。その後熊本に帰郷し、1969年に映画デビュー作「あつい壁」を監督した。ハンセン病に対する根強い差別を扱い、話題になった。

2007年『新・あつい壁』を手がける。

監督作品

  • 『あつい壁』(1970年) - 1953年(昭和28年)に熊本で起きた龍田寮事件と呼ばれた、ハンセン病への偏見と差別を告発した映画。
  • 兎の眼』(1979年)
  • 『ブリキの勲章』(1981年)
  • 『ブルートレインひとり旅』(1982年) - ブルートレインに夢を託す小学生が、単身寝台特急はやぶさに乗り込み、様々な人と触れあい不思議な体験をする。
  • 『それぞれの旅立ち』(1985年)
  • 『やがて…春』(1986年、にっかつ児童映画
  • 風のあるぺじお』(1987年)
  • 『先生あした晴れるかな』(1994年)
  • 『ヘレンケラーを知っていますか』(2006年)
  • 『新・あつい壁』(2007年) - 熊本で起きた藤本事件を題材にしている。
  • 野球部員、演劇の舞台に立つ!』(2018年)

脚注

  1. ^ 日本映画監督協会

関連項目

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