共和ファシスト党
イタリア社会共和国の政党 共和ファシスト党 Partito Fascista Repubblicano | |
---|---|
統領 | ベニート・ムッソリーニ |
書記長 | アレッサンドロ・パヴォリーニ(英語版) |
創立 | 1943年9月18日 |
解散 | 1945年4月25日 |
前身政党 | 国家ファシスト党 |
後継政党 | 再結党の禁止[注 1] |
本部所在地 | ロンバルディア州ミラノ |
機関誌 | 共和国通信 |
青年部 | 黒色旅団(英語版) |
私兵組織 | 共和国防衛軍(英語版) |
党員・党友数 | 約30万名(1945年) |
政治的思想 | ファシズム 共和主義 社会主義 |
政治的立場 | 第三の位置 |
公式カラー | 黒色とトリコローリ |
イタリアの政治 イタリアの政党一覧 イタリアの選挙 |
共和ファシスト党(イタリア語: Partito Fascista Repubblicano、英語: Republican Fascist Party、PFR)は、かつて存在したイタリア社会共和国の政党。
解散された旧国家ファシスト党(PNF)の後継団体として設立され、共和制によるファシズムの完成を目指した。
概要
ナチス・ドイツの支援の下、分離講和というイタリア民族の不名誉を禊ぐ為の継戦運動を主導して、イタリア社会共和国(RSI)を樹立して連合軍に抵抗した。RSI軍の正規軍(共和国国防軍)はドイツ国防軍の訓練を終える1945年まで南ドイツに駐留していた為、RSI軍の多くは国防義勇軍(黒シャツ隊)を再編した共和国防衛軍(英語版)や義勇軍である黒色旅団(英語版)といったPFRの準軍事組織が担当した。政策面では王党派や資本家への配慮が不要となった事からより修正マルクス主義的・社会主義的なアプローチを展開して、大企業の完全国営化などを実施した。
1945年4月25日、指導者ベニート・ムッソリーニの死と共に解散され、戦後のイタリア共和国(イタリア第一共和制)では「民主主義の脅威」として国家ファシスト党と並んで再結党が禁止されている。一方で事実上の後継団体としてイタリア社会運動(MSI)が設立され、タンジェントポリ後のイタリア第二共和制下で右派政党「イタリア国民同盟」(AN)として連立政権を樹立している。
党大会
出典
関連項目
| |
---|---|
影響 | |
起源 |
|
組織 |
|
コンセプト |
|
文書 |
|
人物 |
|
主な出来事 |
|
関連項目 |
|