勲旧派

勲旧派
各種表記
ハングル 훈구파
漢字 勳舊派
発音 フングパ
日本語読み: くんきゅうは
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勲旧派(くんきゅうは)は、李氏朝鮮の派閥の一つ。士林派との対比で使われる。

大地主の両班が多く、1455年の世祖の擁立に功の有った勲臣と、その子孫たちで構成されていた。士林派の台頭に脅威を感じ士禍を引き起こす[1]が、1567年宣祖即位以降は士林派が積極的に登用されるようになり、勲旧派はやがて政治の舞台から消えていくこととなった。

高麗末期の李成桂擁立の功臣とその子孫も勲旧派と呼ぶ場合がある。

  1. ^ ただし燕山君期に発生した甲子士禍1504年)と丙寅士禍(1506年)ではいずれも士林派のみならず、勲旧派も大規模粛清に巻き込まれている。
四大士禍
勲旧派士林派
1575年
東西分党
西人東人
1589年
己丑獄事
南人北人
大北小北
清小北濁小北
1613年
癸丑獄事
肉北骨北中北
1623年
仁祖反正
功西派清西派
洛党原党山党漢党
1674年
甲寅礼訟
濁南清南
1680年
庚申換局
老論少論
1721年
辛壬獄事
緩論峻論
1727年
丁未換局
清名党蕩平党
1791年
辛亥迫害
信西派攻西派
僻派時派
勢道政治